てっきりスマホ依存の若者の実態を描いた書籍だと思っていた。
とんだ勘違い。
本書の帯には「読書史と労働史でその理由がわかる」と書かれている。
そうだよね・・・。

著者の三宅さんは1994年生まれだから、まだ若い。
子供のころから本好きで、本をたくさん読むために就職したが、
忙しくてその時間が無くなった。
時間があっても疲れもあり、なんとなくスマホを手に取りSNSやYouTubeも見てしまう。
そんな時間がイヤで会社を辞めたという。

僕も夜に本を読もうと思いながら、スマホに流れることは多い。
圧倒的にラクな選択。
きっとそんな人は多く、気づいた時にはスマホ依存症になるのかもしれない。
本書ではそんな書籍とスマホの関係性を明かすのではなく、
労働と読書との関係性を時代ごとに追う。

当初、思っていた書籍と違ったが、新たな発見が多かった。
これは今月から始まる大学の授業でも使えそう。
働く価値観も理解できる面白いネタじゃないかな。

日本人の現代の労働環境は明治時代から始まった。
当時から読書の習慣はあったが、目的は修養のため。
読書の位置もエリートの教養だという。

それが大正から昭和となり、高度経済成長の時代を迎える。
中産階級が誕生し、読書は教養を身につけるための手段となった。
それがバブル期は会社研修の要素が強くなり、今は情報収集の手段。
実際はもっと細かい背景や立ち位置はあるが、ざっくりいうとこんな感じ。

1970年代にサラリーマンが司馬遼太郎を愛読したのも時代的背景。
「歴史という教養を学ぶことで、ビジネスマンとしても人間としても、
優れた存在にのし上がることができる」感覚があったようだ。
僕も昭和的感覚が強いので同じかもしれない(笑)。

それは間違っていないと思うが、現代では立ち位置が変わる。
読書は情報でそれもノイズ。
スマホのように興味のある情報だけならノイズにはならないが、
読書には興味のない不必要な情報が入ってくる。
個人的にそれは大切だと思うが、今ではノイズ。
自分と関係がない情報はノイズというのだ。

なるほど!と感心したが、それでいいのか・・・と思ってしまう。
それは著者も同じで、そのための解決策を提示する。
また、働きながら本を読むコツを教えてくれる。
読書家にとっては当たり前だが、あまり本を読まない人には新鮮だったり。

本書もそうだが、普段読まないジャンルに手を出すことが大切。
それを一番教えてもらったのかな。