僕は一部の人からZ世代研究家という認識を持たれている。
それが正しいかはともかく人前で今の若者像を語る機会は多い。
世間一般にいわれるデジタルネイティブであるとか、
プライバシー保護の意識が高いという傾向はあるが、
結局のところ多様化していて一括りにできないというのが僕の回答。

それで研究家かと問い詰められれば、「まあ」と軽く頷くしかない。
そんなもんである。
実際にはよく分からないのが事実。

そして、本作を観て益々わからなくなった。
河合優実演じるカナは21歳。
まさにZ世代。
彼女一人をその代表にするつもりはないが、なんらかのヒントはないかと思い観ていた。

将来に楽観的でない。
なにかに情熱的になることは少ない。
が突如として熱くなる、
スマホ中心でTVは観ない。
ところどころ感じる点はあるがその程度。

男女関係も意外と濃厚そうで淡泊。
男が女々しいのは象徴的かもしれないが、他人にはクールだったり・・・。
ただ何かしらその存在を現代社会の実態として、監督は見せたかったはず。
そんな想像をする。
だからカナが中心に回る映画を製作したのだろう。

本作を通して感じたのが、自主映画っぽいということ。
いつの時代も学生らが作る作品は独特の香りがする。
本作はその延長線上にあるように感じた。

必ずしも間違ってはいない。
山中瑶子監督はまだ27歳で2017年にPFFアワードを受賞。
僕の学生時代はそんな連中がゴロゴロしていたが、
まだそんなキャリアが存在するのが喜ばしい。
独創的な演出が海外で評価されることも多い。

本作もそんな香りがする作品。
同時にかなりの想像力を持たないと理解できない。
これはどんな意味?と思うシーンはいくつも見られ、自分では解を見いだせなかった。
タイトルとカナのよく見るスマホとの関連性は強いし、
そのまったりとした風景が監督の強調したい点だろう。

きっと評価は分かれる。
共感する人もいれば、否定する人もいる。
意見を戦わせることが社会の在り方や若者群像を論じることなのかもしれない。

ワガママな若い女性が優柔不断な男共を翻弄する映画と割り切るのは勿体ない。
Z世代研究家としてどう受け止めるか。
それを考えさせてくれる作品だった。