公開されて10日後に鑑賞(ブログはその12日後)。
映画を観ようかどうか迷うほど評価が分かれていた。
むしろ酷評が多い。

何をもって評価が低いかは映画を観れば理解できる。
純粋に前作「ジョーカー」と比較して評価と思われる。
「ジョーカー」は衝撃的で、2019年の映画界の話題をさらっていった。

その続編は主演のホアキン・フェニックスもトッド・フィリップス監督もメインスタッフも一緒。
自ずと期待値は高まる。
同じようなテイストの作品と想像するのが一般的。
予告編を観ながら僕もそんな期待をしていた。

そして見事に裏切られた。
これが僕らが望んだ続編か・・・。
イメージと異なる世界に対して落胆したのではないか。
それが評価に繋がったのだろう。

しかし、それは自分勝手な話。
ゴッサムシティで神格化された「ジョーカー」も同じじゃないか。
いつの間にかアーサー・フレックはジョーカーが全てとなり、
アーサー・フレックがジョーカーであることに苦しめられる。
どんな大罪を犯した者でも人間的な感覚は少なからず残る。

ジョーカーはジョーカーでなければならない。
それは続編が制作されるまでの4年間であり、
アーサー・フレックが収監された2年間を指す。
反逆者は民衆の代弁者として存在しなければならない。

トッド・フィリップス監督は批判を覚悟の上で全て変えてしまった。
きっと違う演出もあったとは思うが、あえてこの道を選択。
そんな風に思えてしまう。

それは裁判で悲しげに語るアーサーであり、ラストシーンで見せるアーサーの表情。
それは果たしてジョーカーといえるのか。
疑問の残すことが一つの解のように思える。

ここで忘れてはならないのがレディー・ガガ演じるリー。
彼女の存在がアーサーをまた別人格の持ち主にしてしまった。
僕なんかはアーサーはピュアで牢獄での行為は初体験じゃないかと思ってしまった。
アーサーとリーが歌うカーペンターズの「遥かなる影」は美しすぎて映画に似合わない(笑)。

レディー・ガガは僕の中では「ハウス・オブ・グッチ」だが、本作もインパクトを残す。
もはや大物女優なんだ・・・。

賛否の多い本作。
僕はこれはこれでありで十分楽しめた。
もう次作はないと思うが、突拍子もないカタチで生まれたりして。

飲みながら批評するにはいい作品かもね。