前作「就活エリートの迷走」は理想と現実のギャップを描いた読み応えのある作品だった。
時代は当時から4年以上経過。
一見、何も変わらないように思えるが、
外部環境と共に少しずつ形を変えながらも変化している。
大雑把な若手の捉え方をすれば、今も4年前も変わらないという認識になるとは思うが・・・・。
現実は目に見えない変化であり、変化していない現実であったり。
何かとネガティブに捉えられる現代の若者だが、
著者は最も特異な傾向を示しているのはバブル世代という。
そう、僕の世代のことだ。
上司や先輩などに対して最も批判的なのも、愛社精神がもっとも低いのも、
職場での飲み会への参加意向がもっとも低いのも、バブル世代。
本書では、こう書かれている。
自分だけ捉えてみれば対象外だとは思うが、総じてその傾向があるのだろう。
事実、否定することもできない(笑)。
そのバブル世代が今の企業の中心にいるのも事実。
実際は蚊帳の外にいる連中も多いとは思うが、
40代後半から50代前半の企業人は一般的にみれば会社の中では一番責任が重くなる年齢だ。
ということは、イマドキの若者が育たないのは僕ら世代のせい?
これは少なからず言えることでもあるだろう。
しかし、今回はそこを言及するのではない。
責任逃れをするつもりはありませんので、ご安心を!
タイトルにある「若手社員が育たない。」とは僕は思わない。
どちらかと言えば「若手社員を育てられない。」の方が正しいのではないか。
日本が成熟期に入り、若者に貪欲さが減少しているのは事実。
しかし、それは彼らのせいではない。本書にも書かれているように
教育の変容による姿勢の変化がベースにあり、そこに社会への諦観、不信感、
リスク回避志向などが折り重なる形で、
まじめでおとなしい若手というニュータイプが生まれたのではないか。
就活生が大手指向であるのもこれが原因の一つと考えられる。
若手を育てようと思えば、そこを前提に考えねばならない。
これまでのマネジメントスタイルを上司が変えなければ何ともならない。
それができずに従来の方法に拘っていれば、結局、若者は育たないという結論に導かれる。
そして、本書のあとがきにも書かれていた通り、今後、求められるのは「人の温かなまなざし」。
できればそれを会社内で実施するのが理想。
それは若手を甘やかすことでも迎合することでもない。
厳しいことは厳しく、責任を問う時は責任を問う。
それを温かいまなざしで行うのだ。
少し前のスタッフブログで高井が「あったかい組織」について書いた。
それ以降、他のメンバーも「あったかい組織」について触れているが、
大きく端折って言えばそういうこと。
問題は常にこちら側と考えなければならない。
僕がどれだけできているかは問わないとして(苦笑)、それを心掛けながら若手を育成する。
それも直接、間接、関係なく全員で・・・。
そうすればきっと育つの僕は思うのだが、どうだろうか。