昨日に続き映画ネタである。
先月までの日経新聞「私の履歴書」は元東宝社長の松岡功氏。
少し前のブログにも取り上げたので、今回が2回目。
ブログネタに困っているわけではない。
興味深く読んだ一か月だったので、その内容に触れてみたくなったのだ。
松岡氏が東宝に入社したのは映画全盛期。その後、斜陽時代を乗り越え今に至っている。
日本映画は僕が大切にしたい分野であり、少なからずその動向に関心を示す。
昨日のブログでも書いたように映画館の在り方も時代と共に変化している。
今思えば不効率な象徴として、チケット販売窓口と劇場入り口のモギリの存在がある。
僕がアルバイトしていた学生時代は一つの映画館に隣接しているのが一般的。
忙しいのは映画の始まる少し前の時間帯だけで、あとは暇な時間帯だった。
上映中にお客さんの入場はあったが、映画の途中に入ってくる人はごくまれ。
今の時代なら入場できないであろう。
おおらかと言えばそれまでだが、そのためにずっと人を配置していた。
僕は忙しいわずかな時間を終えるとずっと小説を読んでいたと思う。
チケット窓口はお金を取り扱うので、正社員が配置されていたが、
仕事のボリュームは僕とさほど変わらない。
お金の計算はあるとはいえ、それほど忙しくはない。
シネコンになり人件費の圧縮をするのは当然と言えるし、
1000名を超える席数の映画館も不効率。
年に数回の満席ぐらいなら、シネコンで複数の劇場で流した方がいいだろう。
昔は(30年前の学生時代)、邦画はまず2本立てだった。
洋画もこの地区は2本立てだった。
一度映画館に入ると4時間は拘束された。
気軽の映画を観る頃ではなかったのかもしれない。
それが時代を見誤り、映画の低迷に繋がったのだとも感じる。
その後、単発放映となり、シネコンが増えたことで観客動員数が戻って来た。
そこも含め映画をどうマーケティングするかで市場そのものが変わってしまうのだろう。
現在、映画会社の中で東宝が一人勝ちしているのも、松岡氏の「私の履歴書」を読めばよく分かる。
古い価値観では乗り切るのは難しいのだ。
時には不動産業やタレント排出企業にもならなければならない。
それが結果としていい作品を残す手段となる。
必要以上に映画に拘らなかった松岡氏だからこそ、
乗る越えられる難局があったのだろう。
それにしても蛙の子は蛙である。
世の中のファミリービジネスが今でも大部分を占めるのは今回の連載だけでも十分理解できる。
いずれ松岡修造氏も東宝に入るのだろうか。
多分、それはないだろうが、彼の持つ才能は本人の努力以外にも存在する。
そのパフォーマンスを含め血もあるのだろう。
映画を振り返るにも企業経営を知るにも今回の「私の履歴書」は勉強になった。