一昨日は母校で開催された後援会及び総会。
メインイベントのひとつに基調講演がある。
今年のゲストはフォトジャーナリストの安田菜津紀さん。

CBCの「サンデーモーニング」は観ているので、彼女の存在は知っていた。
あんだけ若いのにいつも堂々と喋っているなという印象。
それも自分の考えをしっかりと持っている。
いつも感心していた。

そんな時に開催された講演会だったので、個人的にはとてもラッキー。
貴重な話を聞くことができた。
20代前半くらいと思っていたが、現在30歳。
あまり見た目で判断してはいけません(笑)。

家族の事情から命の大切さに関心を持ち、
高校時にカンボジアに出向いたのが、この仕事に就くきっかけ。
大学卒業時には既にフォトジャーナリストとして独立していた。
この間のわずかな経歴だけでも常人ではない。

可愛らしい顔をして(こんな表現は失礼ですね)、根性が座っている。
講演も可愛らしいけど、根性は座っていた(笑)。
今回の講演は彼女が撮影した写真を見せながら、その周辺環境を語るもの。
写真一枚が訴求する力は絶大で、それに言葉を被せればより説得力は増す。
大きなメディアに頼らず、自身で選択し自分の言葉で発信する。
これがフォトジャーナリストの仕事。

今回、安田さんはカンボジア、東日本大震災(陸前高田)、
中東(シリア)での経験を写真を交えながら話をされた。
すべて披露してしまうとブログが終わらないので、ここはあえて陸前高田市の話。

6年前の東日本大震災。
この2011年に彼女は入籍された。
義父は陸前高田市の病院に勤められ、震災当日も津波の写真を病院から撮影。
その状況に焦るよりも別世界であったため写真もギリギリまで撮れたという。
その写真も映し出されていたが緊張感が伝わってきた。

そして、象徴的な存在となった「希望の松」。


(安田さんのブログより借用)

一般的には唯一残った松の木は希望の象徴として捉えられているが、
義父の解釈は異なり、7万本も植えてあった松が1本しか残らなかったのは、
逆に辛いことだと言われた。

安田さんはその言葉を強く受け止め、
誰のために写真は存在するかを考えられるようになったという。
ある人にとっては希望でも、違う角度で見れば辛いことでしかない。
その視点を持ち合わせることがフォトジャーナリストとして重要である
というような話をされていた。

いい写真を撮っても直接命を救うことはできない。
しかし、それを役割分担と捉え、
何が起きているかを発信し続けることがフォトジャーナリストの使命であると認識。
それが彼女の行動力を生み、また深い考えにも繋がっているのだろう。

なぜ安田さんが戦地に向かい、子供や家族を撮り続けるかようやく理由が分かった。
命を懸けて、一枚の写真で世の中の動きを証明する。
尊敬すべき仕事。

iPhoneでくだらない写真ばかり撮っている僕はいかに次元が低いか・・・。
それも理解できた(苦笑)。

撮影技術のハードルが下がった分、カメラマンに求められる価値も変化していく。
これからは自分の言葉を発信できるカメラマンしか生き残れないのかもしれない。
それを感じることができたのも講演のおかげ。

ありがとうございました。