これからも前向きに 名大社会長ブログ

ゴールデンウィークの過ごし方

名大社では4月29日~5月5日の7日間はGW休暇となる。
なんと7連休。ちょっと休み過ぎと思うくらいの大盤振る舞いである。
ただONとOFFをはっきりさせるにはいい機会だと思うし、日頃の激務に耐えてくれている社員にはゆっくりと休んでもらいたい。
さて、僕自身はどうしようか・・・。
そうはいっても少しは仕事が入っていたりするので、それには対応するのだが、基本は社員同様休みである。
そう、ココロを休め、カラダとアタマを鍛える休暇にしたい。
良いか悪いかプライベートの予定はほとんどない。中学2年の娘は、友達との予定と部活でスケジュールが埋まっているようだし、その年齢になると親との行動はどうでもいいようだ。(特に父親とは・・・涙)
小学4年の息子も今春に入った野球チームの練習でいっぱいだ。日曜と祝日は全て練習となる素晴らしいチームに所属している(送迎は大変だが・・・)。
ということは、GW期間は、そのほとんどが練習もしくは試合なのだ。
家にいても暇を持て余すばかりで、野球の方が本人にとっても体力作りになるため、至れり尽くせりなのだ。
そうなると残されるのは、僕と嫁さんである。今更、2人でどこかに出掛けるわけもなく、家に居ても必要以上の会話もなく、な~んにも起こらない。平和と言ってしまえばそれまでだが、結婚にて17年も経過するとな~んも起こらないのだ。
余計に、ココロを休め、カラダとアタマを鍛える休暇となるだろう。
まずは、ランニング。
そして、つまらない大人になるための読書。そして、勉強。
その後に、のんびりと日光を浴びながらうたた寝。できれば、スーパー銭湯でまったり。そんな日々を送るのもいい(安っ)。
実現可能かどうかはともかく、ゴールデンウィークは目の前。
自らにノルマを与えながらも、ココロを休め、カラダとアタマを鍛える休みにしたい。

ドラッカーの言葉を思い出す

本日は「中小企業における経営戦略のあり方」というテーマのセミナーに参加した。
これまでに学んだ経営戦略やマーケティングの振り返りに近い面もあったが、普段の業務の中で吹っ飛んでいる要素もあるため、いい学びでもあった。
フレームワークを含め、頭に叩き込んだつもりでも使わないとどんどん忘れてしまうので、このようなセミナーで刺激を受けるのも重要なのかもしれない。
タイトルの頭には「ドラッカーも言っている!」と表現されていることもあるように、ドラッカーの名言が所どころに使用されていた。
事業分野規定では
われわれの事業は何か?何になるか?何であるべきか?」
というシンプルな言葉から、戦略計画とは何かでは
未来は望むだけでは起こらない。そのためには、いま意思決定しなければならない。今行動し、リスクを冒さなければならない。必要はものは、長期計画ではなく戦略計画である」
というドラッカーらしい言葉も散りばめられていた。
つくづく思うのは、一度、書籍を読んだだけでは身に入らないし、実践を積み重ねないと本当の意味は理解できないということ。
そんな点で言えば、まだまだ自分は未熟だし、表面的にしか捉えていないと思う。
経営理念を見つめ直し、経営ビジョンを明確にしたとしても、その事業が上手く進むことなんてあり得ない。但し、そこをはっきりさせることで目指すべき道筋が見え、トップから新人まで一体感を作り上げるのは可能だ。
いくら世の中が複雑になり、ビジネスモデルも多様化する中でも、事業の本質は変わらないのだろう。
人は忘れる。自分も忘れる。
大切に思っていても継続させないと忘れてしまうのだ。
何度も何度も言い聞かせることが自分にも組織にも必要なのだ。
分かっているようで、抜けてしまっていること。継続し続けなければならないと再度、実感した本日だった。

卒業はしばらく先だな。

仕事ではない。会社でもない。
歯医者のことだ。
2ヶ月前に奥歯の詰め物が外れたため、診察してもらった。他の箇所も診てもらったが、普段の不摂生がたったてか、単なるいい加減な歯磨きの結果か、いくつかの虫歯が見つかり、通院する事になった。
自らの意志で歯医者に行くなんてあり得ないため、いい機会と認識した。
歯医者が得意な人なんていないと思うが、昔から歯医者はとても苦手だった。あの独特の匂い、あの歯を削る音、そして、突き刺し見に染みる痛さ、ろくな記憶がない。
会社の健康診断で診てもらうわけではないので、定期的な診断が必要だとも思うが、足が向く事はなかった。
しかし、先端の歯医者(どこもそうかもしれないが・・・)は、昔とイメージが違う。
診察台は区切られ、他の患者の苦痛に満ちた表情を見ることはない。診察台のWindowsの画面には自分のレントゲン写真が映し出されている。
何より違うのが、その治療だ。ほとんど痛くないのだ。麻酔をかけている事もあるのだが、ほとんど痛みは感じない。本当は痛いのかもしれないが、大人になったのか、なにかと図太くなったのか、ほとんど感じることはない。たまにチクッとくるくらいなのだ。
ただ、あの音は変わらない。キーンと唸る歯を削る嫌な音。これは以前と変わらない(変わらないような気がする)。この音はやっぱり苦痛だ。早く去りたい。
残念だが、本日、新たな治療箇所が見つかって、しばらく通わなくてはならなくなった。
う~ん、やだな。
隣の診療台では、小さな子供が泣き叫び保護者に押さえつけられ、治療を受けていた。子供はいつも一緒だ。いくら最新設備になっても自分達の頃と変わらない。
しばらく歯医者を卒業できない。早く卒業したい。

4月企業展を終えて・・・

昨日、一昨日と12卒学生向けの企業展を開催した。
2日間で1000名近い来場があったわけだが、これまで行ってきた企業展とは異なり、学生の置かれる状況も随分と変化してきた。
これまでは話を聞く出展企業を明確にして来場したり、業界を絞って話を聞くケースが比較的多かった。それが、今回は見るべき業界を広げるために活用する学生が多かったように思う。
理由としては、内定がない、面接で落ちるというような選考が上手くいかないケースと大手企業の選考が先なので、今は別の企業を探す、地元の中小企業を探すケースが目立ったようだ。
就職活動スタート段階のような希望に満ちた状況からと比較すれば、どうしてもネガティブな要素が大きな割合を占めるが、それも裏を返せば、懸命に就職活動を行ってきた証ともいえる。
中には全く自信を失くしてしまっている学生もいる。無責任な言葉は掛けられないが、まだまだ自信を失くす時期でもないし、やれる事はいくらでもあると思う。
これまで受けてきた企業は圧倒的に選考から漏れる人気企業が中心であるのは話の内容から想像できるし、業界も限定的。これから選考を行う地元中小企業も数多く存在する。
現に名大社DeSu新卒ナビでは、申し込みを頂きながらも、まだ未公開の企業は70社以上もある。
採用スケジュールが明確になっていない企業が多いのも事実なのだ。
それに新たな申し込みもこの時期になっても継続的に頂いている。チャンスはこれからも多いのだ。
自信を失くし、もがく事もあるだろう。しかし、諦めることは決してしないで欲しい。
そんな事を感じる本日は、名大社の最終面接でもある。
僕と1対1の個人面談だ。もしかしたら自信を失くさせてしまう場面もあるかもしれないが、そこも含め、素の自分をぶつけて欲しい。

Fネット幹事会で、改めて感じること

昨日は、名大社も加盟するふるさと就職応援ネットワーク(Fネット)の幹事会が東京で行われた。3ヵ月ぶりのことである。
今回は、東日本大震災の被災地である仙台と福島からもパートナー企業が参加され、震災状況もリアルに報告された。
まず安心したのは、被災地のパートナー企業の社長がこちらが思う以上に元気であった事。辛い表情を見せることなく、時に冗談も交えながら、地震の状況を報告された。
そこには、修羅場を潜った力強さを感じると共に、TVでは知ることのできない被災の別の顔も話されていた。
(幹事会後の懇親会でも、話題はこの大震災の話が中心で、自分たちが知る由もない非現実的な厳しい状況の世界が繰り広げられた。
そこには実体験でしか感じ取れない自然災害の恐ろしさを垣間見ることであり、目の前で起きている現実を受け止める事でもあった。)
そして、次に議論の中心になるのは雇用問題である。
産業が壊滅し、各職場も復旧の目途は立たず、内定取り消しや採用見送りが現実問題として溢れ始めている。
行政が通常の仕事に戻るにはしばらくの時間がかかるだろうし、その分、引っ張られる学生や就業者も多く存在するだろう。
何とかしなければならない。
何とかする意思があっても、我々は民間企業でボランティアや官ではない。しかし、そんな状況でも学生や就業者を利益と関係なくサポートするのも当然の役割だとも思う。
報告される事実に対して、僕はそう思いながら、大した行動ではない行動に移すしかない無力さを感じる。
僕らの力で大きな雇用を創造するのは限界があるだろう。だが、一人でも二人でも少しの人数でも支える事は不可能ではない。十分に果たせる役割である。
幸いにもいくつかの手段があり、それを叶えられるわずかだがインフラもある。
仙台のパートナー会社の社長が言われていた通り、目の前の事に最善を尽くすべきなのだ。
いろんなニュースを見てきたが、実際に被災にあった方と話すのは本日が初めてであった。ショッキングな内容もあったが、その現実を言葉の中から感じ知ることができたのは、貴重な体験でもあった。
今、僕らができる事。それをしっかりと果たさねばならない。

ユニクロ帝国の光と影

ユニクロ帝国の光と影 ユニクロ帝国の光と影
(2011/03/23)
横田 増生

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ここには、普段、ビジネス誌やマスメディアでは取り上げられていない柳井氏の経営者の非情な姿が描かれている。
しかし、僕はそれに違和感を感じたり、不思議に思うことはない。
経営者というのは(というよりも大きく会社を伸ばす経営者)、多かれ少なかれ、この著書で書かれている面は持ち合せていると思うからだ。
それは柳井氏であれ、孫氏であれ、三木谷氏であれ、自分で創業し新たな領域でマーケットを築いてきた方は、僕の想像以上に自己に対して厳しいだろうし、同等に他人に対しても厳しく要求をするだろう。時として、その他人を退職まで追い込むことも多い。
そこまですべきか、と批判的になる面は理解できなくはないが、僕は自分自身の持ち得ない力として、その経営者の姿に憧憬を覚えることもある。
その世界で頂点に立とうとすれば、得るものよりも失うものが多く、名声も名誉も途中段階は切り捨てる行為を取らねばならないと思う。
この著書でも、今現在の柳井氏の立場を、ダイエーの中内氏やマクドナルドの藤田氏らのかつてのカリスマ経営者とダブらせている。それはかつてのカリスマ経営者が没落の一途を辿るシーンと柳井氏が近い存在であると表現したいようにも思える。
それがあてはめる事ができるかは不明だが、それに値する象徴的な存在であるのは間違いない。
多くのカリスマ経営者が次代の経営者を育てられない点が柳井氏にも共通するのであろう。
いい意味でも悪い意味でも今後のユニクロからは目が離せない。
自分の反面教師としての捉えながら、その本質である経営も学んでいかねばならない。
最後のZARAとの戦略の違いもマーケティング的要素として面白かった。同じSPAのアパレル企業であっても、互いのスタイルは全く異なる。
トップの在り方を学ぶと同時に、グローバル展開の戦略も感じ取る事ができた。
一気に読めてしまう1冊である。

勉強会で採用環境を考える

昨日はCDAプラザの勉強会に参加。この日はキャリアコンサルタントの技能検定試験対策から2012年卒の新卒採用環境について勉強会を実施した。
この会では、キャリアカウンセラーの資格を有する企業の人事担当者や大学のキャリア担当も参加されているため、同じ目線でありながらもお互いの立場や考えをぶつけ合い、現在の環境について議論を行う。
本音ベースで話ができる貴重な場である。
その中で、今、最も気になるのが、今年の就職戦線の行方である。大学関係者からしてみれば、ただでさえ就職環境が厳しい状況の中で、大震災の影響がどれくらい発生するかということ。
現実問題として、どこまでマイナス要因が発生するかが論点の中心になる。現時点の学生の内定報告は前年と比較し減少しているようであるし、不安視する学生は増え、その相談も数も多いという。
また、採用を行う地元企業の場合は、学生の選考時期を含め、採用人数の見直しを含め、戸惑う事が多い。
我々の東海地区は、このエリア周辺だけを捉えれば、大震災の影響は少ない。しかし、売上の減少や仕入れ先、流通経路の確保の混乱など、じわじわと業務上の影響が出ているのも事実。
そうなってくると直近の課題である12卒の採用計画を見直さざる得ないケースも出てくる。実際に我々のクライアントでも下方修正や採用を一旦見送りにする企業も出始めている。
被災地からの採用を積極的に行う企業もあるが、数としては限定的だ。当面は見えない先々を予測しながら戦略を描いていかないといけない。
そして、学生の選考時期に関しては、難しい判断を迫られる。大手企業はじめ全国展開を行う企業は、実際の選考を2ヶ月ほど遅らせている。地元でもトヨタ自動車を筆頭に、トヨタグループ各社はその方針を表明している。
一方で、地元を中心に展開する企業については、従来どおりの選考を行い、既に内定を提示している企業もある。企業視点に立てば、正しい判断と言えるし、学生視点に立てば、どこを基準に行動すればいいのかが、非常に掴みにくく、悩みどころだろう。
実際にこの選考状況に戸惑う学生は、この東海地区には多いと思う。その中で恐れているのは、学生の緊張感が途切れてしまう事だ。
選考時期が企業によって大きく割れることで、学生の活動が散漫になり、就職活動におけるモチベーションが下がるようだと結果としても厳しいものに繋がってしまう。
就職活動が長期化することで、学生にとっては辛く大変だろうが、そこは乗り越えていくしかない。
情報をキャッチし続け、機会を逃さないことが大切である。
それには、名大社としても多くの場でチャンスを提供していきたい。
昨日の議論の中で、企業の立場、大学及び学生の立場を改めて感じ取ることができた。
その中で、我々が出来ることを最大限に考えていきたいと思う。

目標設定の難しさ

今朝も10キロほどランニング。今週は久々に平日にも5キロを走った。
継続的に走ってはいるものの、全然目標には到達していない。
本来は、明日、恵那峡ハーフマラソンに参加する予定であった。しかし、震災による影響で大会そのものが中止となった。
3月の大会で目標である1時間50分切りを達成する事ができず、目標をこの恵那峡ハーフマラソンにスライドさせたわけだが、大会が中止になったことでモチベーションが下がり、走るべき距離を走る事を怠けてしまったのだ。
本当であれば、土日は15~16キロくらいは走らなければならないし、平日でも少なくとも1日は走らなければならない。
それが目標を見失ったことで、本来起こすべき行動をしなかった。意志が弱いと言ってしまえばそれまでだが、どこに目標を設定するかによって、人の気持ちや行動は大きく変わってしまう。
わかりやすく表れたのが今回の例と言えるだろう。
例えば、マラソンにおける目標設定を○○大会で○○分で走りきるとした場合と1キロのタイム5分で1ヵ月80キロ走りきるとした場合と本人に与える影響はどう違うだろうか。
どちらとも不測の事態が考えられるので、どっちが目標として正しいとは言い切れないが、できるだけ環境や自己の都合に振り回されない目標を作るべきだろう。
それは仕事も同様で、どんな目標を置くかによって、その達成すべきアクションプランも大きく変化してくる。
会社には今期の目標があり、個人にはそれぞれ達成すべき売上や業務内容の目標がある。そこには定性的な要素と定量的な要素が組まれ、本人を縛り付ける面もある。
個人的に言えば、ギリギリ達成可能はするかもしれないが、ちょっと無理めな目標を立て、自分をがんじがらめにしないといけないと思っている。
今朝走りながら、不甲斐ない自分の行動をみて、目標設定の難しさについて、ふと考えてみた。

SOMEWHERE

ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したソフィア・コッポラ監督の映画「SOMEWHERE」
たまたま頂いたチケットで観たのだ。決して関心がないわけではないが、きっと自腹では観る事はなかった映画だろう。
でも、観て良かった。
男はいつまで経ってもダメなのが良く理解できた。
ファーストシーンの長回しは、ジムジャームッシュの映画を思い出した(全く違うかもしれないが)。確か今から25年位前の話だし。
モノクロかどうかはともかく「ストレンジャー・ザン・パラダイス」をイメージ。全然覚えてないんだけれど・・・。(ストーリーが進めば全然違うのはわかります。)
少し観て気づいたが、主役は人気俳優の設定。
だらしがないそのスケベ男優とその娘の交流を描いたほんわかしたストーリー。僕とは環境は異なるとはいえ、父親の心境として、このダメダメ男優の主人公には共感する。
時に切ない。そして、美しい。
いろいろ起こるが何も起きていないのがこの映画だ。プールサイドでシートを倒し、娘と一緒に日光浴を楽しむ。そこには洒落た会話や行動があるわけではない。ボーッとするだけ。結局、男はそれくらいしかできない。
これも切ない。
ここに書いていることは、さっぱり理解できないと思うが、少しだけ自分とオーバーラップさせて観ることができた映画であった。
くどいと思うが、やっぱり切ない。

大人の流儀

大人の流儀 大人の流儀
(2011/03/19)
伊集院 静

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伊集院氏の著書を読んだのは、実に久しぶり。20代の頃は、小説であったり、エッセイであったりとちょくちょく読んでいたのに。
30代になると専らビジネス書ばかりで(この頃からつまらない人間になったのかもしれない)、小説は全く読まなくなり、著者の本も縁遠くなった。週刊誌もビジネス誌以外はほとんど読まないので(だから本当につまらない人間になった)、今回の著書の連載もにも全く触れたことはなかった。
久々に読んだ著者だが、抱いている気持ちは以前と同じ。
うらやましい。
自分とは真逆の生き方をしている。実に自由で束縛されず、自分のやりたい事だけをこなし生きているように思える。(決してそんなことはないはずだが・・)。そう思えてならない。
だからこそ、憧れてしまうのだろう。
自分もこんな生き方が出来たら、どんなにいいだろうかと・・・。
かと言って、考え方が全く異なるのではない。
人との接し方であるとか、若者に期待することであるとか、企業の価値は何であるかとか、共感する面は多いのだ。
それが本当の惹かれる理由なのかもしれない。
ビジネス書ばかり読むのではなく、この類の書籍も読まないと本当につまらない大人になってしまうかもしれない。
大切な大人の流儀も身につかない。
そして、読んで本能的に思ったこと。
銀座に行きたい!
それがどうした。(終り)