これからも前向きに 名大社会長ブログ

映画「教皇選挙」

何度も予告編を観て、本作はパスしようと思っていた。
重い作品は嫌いではないが、必要以上に重そうだった点と
宗教が絡むと難しい解釈が増える点でパスしようと思ったのだ。

ところが映画評論仲間のBush氏が公開初日に観て絶賛。
凄い衝撃の問題作と評価していた。
宗教的な理解もあると思うが、その言葉を素直に受け映画館に足を運んだ。

カトリック教会に何ら興味を持たない身でも、
新教皇を決める教皇選挙「コンクラーベ」の世界には目を奪われた。
水面下で繰り広げられる様々や陰謀や野望。
そこまでして立場を手に入れたいかと思ってしまう。

積み重ねてきた歴史を否定するつもりはない。
何度も行われる選挙も十分な意味はあるのだろう。
しかし、より冷静に客観的な立場で眺めると、
自分勝手な思想や非合理なシステムに反発したくなってしまう。
これが最高指導者を目指す人や場所なのかと。

そんなことを思わせることが本作の面白さ。
「コンクラーベ」の舞台裏を覗き見ることで人間の本性を垣間見ることができる。
聖職者も一般人も関係ない。

描かれるのは現代。
情報が乏しい中世の出来事ではない。
どんな時代になっても人のエゴや弱さは変わらないんだ・・・。
凡人である僕は教皇候補者に憤りを覚えながらも、なんとなく安心してしまった。

僕が勉強になったのはシスティーナ礼拝堂界隈のこと。
教会というべきか分からないが、あんな施設で食事をし寝泊りをする。
もっと質素な場所かと思っていたが予想外に豪勢。
昼間っからワインも飲んでるし・・・。
そんなとこに関心を持ってどうする(笑)。

本作はできれば予習した方が楽しめる。
枢機卿(すうききょう)って何?と思うのが普通の日本人。
登場人物も押さえた方がいい。
ペリーニ、トランプレ、アデイエミ、テデスコの名前をすぐに覚えられば問題ないが、
そうでなければ顔と名前を一致させた方がいい。

えっ、レベルが低い?
そんなことを感じた作品。

知らない世界を覗き見たい方には最適な映画だろう。

映画「ドマーニ! 愛のことづて」

どうだろうか、映画が終わって時間が経過するにつれ、ジワジワと沁みてきた。
ちょっと不思議なラストシーンから遡り、様々なシーンを繋げていく。
そうか、あそこのあの場面はあんな意味だったのか。
当初抱いていた捉え方とはまるで異なる。
なるほど!と後になって納得。
そんな意味では余韻を楽しめたということか。

事前情報はほんの少し。
入れた情報は第二次世界大戦後のイタリアを描く。
そして、2023年イタリア国内興行収入第1位の映画であること。
それくらい。

ポスターの雰囲気から社会派ドラマと想像したが、そうではなかった。
その要素は含まれるが流れはコメディ仕立て。
えっ、ここでミュージカル・・・。
なんて意表を突くシーンも観られたり。

これも映画を観終わって知ったことだが、
主役デリア演じるパオラ・コルテッレージはイタリアの人気コメディアン。
しかも本作の監督、脚本。

映画では洒落っ気はあるが地味な女優さんというイメージ。
ラストシーンの仕草がコメディアンっぽいが、あくまでも演出と捉えた。
モノクロ映画であるため1940年代に制作された作品とも錯覚。
まあ、これも巧みな演出なのかな。

フランスでもそうだが当時のヨーロッパは女性に厳しい。
いや、アジアはもっとそうか。
離婚も中絶もできない。
2022年のフランス映画「あのこと」を思い出した。

僕らは勝手にヨーロッパは女性の立場も平等と思い込むが、大きく異なる。
(そうじゃないかな?)
本作なんかは圧倒的な男尊女卑。
仮に僕が昭和初期に生まれ育っても、この時期のイタリアは酷いと思うだろう。
特に作品の中心となる家族の夫イヴァーノは酷い。

今なら間違いなくDVで訴えられるが、当時は許される行為。
さほど問題になることはない。
それに耐えるデリア。

映画はそんな家族の様々な出来事を描くが、観る者は誰しもデリアに同情する。
そして、早く逃げろ!と思う。
一方的に映画の観方がデリアの肩を持つ方へ。
そこが上手い演出。
ネタバレになるので何が上手いかは言えないが、ジワジワ沁みるのはそんな点もあるから。

しかし、デリアの置かれた環境は特別ではなくイタリア全体にいえたんだろう。
だからあんな結末になっていくんだ・・・。
もっと歴史を学ばねばいかんね。
どこの国も最終的に強いのは女性。

それも偏見か(笑)。
それを改めて知らされた映画だった。

静かな退職という働き方

「静かな退職」という言葉を目にした時、昨年の「静かに退職する若者たち」を思い出した。
海老原さんも早期離職をする若者の特徴についての書籍を出されたのかと・・・。

僕のイメージとは全く異なった。
ここでいう「静かな退職」とは、会社を辞めるつもりはないものの、
出世を目指してがむしゃらに働きはせず、最低限やるべき業務をやるだけの状態をいう。
アメリカのキャリアコーチが発信し始めた和訳とのこと。
2月の海老原さんと石丸伸二さんのセミナーと本書で言葉の意味を知った。

日本の若者の傾向のように思えるがそうではない。
世界中の多くの働き手が「静かな退職」。
決められた時間だけ働き、定時になったらそそくさと帰る。
アメリカでもヨーロッパでもそんな働き方は多い。

むしろその方が生産性は上がる。
仕事とは手を抜けば抜くほど生産性は上がると海老原さんはいう。
僕のような昔の価値観の持ち主は今でも懐疑的だが、中身を理解すると確かにそう。

売上目標を達成するために残業をしまくり、用もないのにお客さんの下に頻繁に通う。
わずかなミスでも必要以上の謝罪をする。
それを当たり前としてきたが、合理的に考えればムダな作業を繰り返し。
その頑張りで会社を支えてきたんだ!という自負は通用しない世の中。
出世は誰しもが望むと考えたのも過去の話となった。

僕も会社のトップになりポストに見合う人材配置を行い矛盾に気づいた。
全てを昇格させるのも責任あるポストを与えるのも難しい。
ヤツは今のままでいい・・・。
そんな人材の重要性も組織を束ねる上では必要なことも理解できた。

更に加速させたのが本書。
静かな退職者が日本の企業において重要な役割を担う。
極力リストラを生まない体制や安定した雇用の維持にも必要なこと。
万年ヒラ社員という言葉がネガティブではなく普通の働き方として認められる時代。
僕もそれでOKとようやくいえるようになった。
これも多極化の一つなんだと・・・。

本書は欧米の事例や数多くのデータから、これからの在り方を解説。
そのための仕事術まで著されているので、「静かな退職」を希望する方にも役に立つ。
それに対応すべきマネジメント層が学ぶ点も多い。

これからの社会がこちらの方向に向かっていくのか。
学生に提供する価値ある情報の一つにもなる。
僕のような立場にもかなり勉強になった。

ありがとうございました。

食べ物のはなし 特別編 パイコウタンタン麺

月末水曜の大好評企画。
ラーメンブログの日がやってまいりました。
2024年度の食べ物ブログも今日が最後。
相応しいネタを提供します。

今月の水曜は全て特別編。
今回も伏見を離れ特別編を提供しましょう。
東京出張の翌日、少しだけお休みを頂きました。

向かったのは上野。
動物園ではなく国立西洋美術館。

「西洋絵画、どこから見るか?」を楽しませて頂きました。
頭を使って絵画を鑑賞すると腹が減ります。
天気も良かったので上野公園から湯島方面に歩きます。

途中で気になった「我流担々麺 竹子 天神下店」さんに行ってきました。

この周辺には多くのラーメン屋さんがありますが、この日はガッツリいきたい気分でした。
こちらは外にもメニューが出されています。
看板メニューとも思えるラーメンを注文しました。

パイコウタンタン麺 1100円

どうです。
結構な迫力です。
パイコウはビールのつまみにもご飯のおかずにもなります。

そしてゆで卵とライスが無料。

ゆで卵だけ頂くことにしました。
パイコウはご飯のおかずというのに・・・。

もっと辛い担々麺かと思っていましたが意外とノーマル。
食べやすい辛さです。
しばらく食べ進めると常連らしきお客さんが、
「バンバンジータンタン麺、大辛で!」と注文します。
改めてメニューを眺めると辛さが選べました。

「しまった、せめて中辛にすればよかった・・・」
確認せず注文したことを反省。
そんなお客さんが多いのか、こんな表示もありました。

「そうはいっても、オレ名古屋だし・・・」
とポツリとつぶやきながら、ノーマルなパイコウタンタン麺を食べ終えました。
やはり担々麺は汗をかきながら食べたいですね。

では、この1ヶ月のラーメンをアップしていきましょう。

担々麺

ラーメン横綱

台湾ラーメン

黒酢酸辣湯麺

冷麺

ベトコンラーメン

すだち冷麺

今月はいつもと比べると控え目。
違うか・・・。
それでも個性の強いラーメンが多かったように思います。
写真だけで胃もたれになるブログファンがいるかもしれませんが、気にしません。
インパクトは大切なのです。

来月はどうなるのでしょうか。
ごちそうさまでした。

映画「Playground 校庭」

いじめ問題はいつの時代になってもなくなることはない。
それは日本に限ったことではなく全世界でいえること。
本作はベルギー映画。
過去、他国との合作は観ているが一国での制作は初めてじゃないだろうか。

お国事情というよりは子供の置かれた環境。
日本やベルギーが特別ではなくきっと万国共通。
だから普遍的なテーマで扱われる。

本作についても目新しさはない。
どこかで見た風景ではある。
しかし、なぜか深く僕の心に刺さってきた。
それは客観的な視点ではなく、7歳の少女の視点で描かれているからだろうか。

目線は小さな子供の範囲。
大きな視野で物事を見ることはない。
せいぜい半径5メートルの世界。
映し出しカメラは低い位置でほぼアップ。
時折遠い風景を映すがはっきりとは見えない。
ぼやけている。
子供の目が見えないということではなく、子供が見れる世界は限られている。
だからこそ少女ノラが抱く不安や寂しさ、大人への恐怖がヒシヒシと伝わる。

時に子供は残酷だ。
人を傷つける気もない正直な言葉に人は傷つく。
気づくのは本人だけ。
悪意がない分、寂しく辛さを感じる。

普通の生活と普通じゃない生活。
何も変わることはないが受け止め方によって普通が普通でなくなる。
大人になればやり過ごすことができるが子供はそうはいかない。
感情が揺れ動き、違う方向に影響を及ぼす。

ここまで書いたところで映画の内容は理解できないだろう。
まあ、いつものことだしそれでいい(笑)。

本作は72分と映画としては短い。
繰り広げられる世界もほぼ小学校内。
校庭か教室か。

とても小さな世界だが7歳の少女からすれば大きな世界。
ほぼアップが続く巧みな演出により小さな世界が不安を与える大きな世界になる。
ローラ・ワンデル監督の力量だろう。

それにまして引き込むのが主役ノラを演じたマヤ・バンダービーク。
7歳の少女の葛藤を見事に演じる。
とても演技とは思えない。
ここ近年の子役では断トツじゃないかな。
そんなことを感じた。

本作はカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。
とはいえそれは2021年。
国内でもっと早く公開されてもいいと思うが・・・。

7歳のノラはもう11歳。
今、どんな生活を送っているのだろうか。
笑顔で健やかに学校に通っててほしい。

映画「ケナは韓国が嫌いで」

公開直後のレビューの高さは気をつけなけばならない。
実力以上に高い評価が頻繁に見られる。
公開から一週間ほど経過すると恐ろしく下がる作品も多い。

本作がそれだというつもりはないが、公開時は高い評価。
それが理由で観るのを決めた事も否定できない。
それだけでなく韓国の若者の実態を理解できると思ったのも理由の一つ。

日本でも韓国でも若者が生きづらさをよく耳にする。
先日の「ANORA アノーラ」「リアル・ペイン 心の旅」もその面が強い。
成長を求められる世界では顕著に表れるのか。
職業学生にとしても教える立場としても把握しておきたい気持ちは強かった。

韓国と日本は似ている面は多い。
若者が将来に不安を抱くのは共通するし当然のこと。
舞台が日本でも違和感は感じないが、韓国の方が格差は大きい。
家庭環境、学歴、働き方は特にそう。

それが国嫌いに繋がり、海外に飛び出す理由になる。
日本の若者は内向きで海外に出ないというが韓国は真逆なのか。
主人公ケナの行動をみるとそう感じる。

ケナは英語を話せないが、家や職場から離れたい一心でニュージーランドに渡る。
周りには同じような韓国人もいたり。
セリフにもあったが、裕福な家庭であればニュージーランドではなく向かう先はアメリカ。
会話から劣等感を感じ自分の存在を図ってしまう。

国を出ても不安がなくなることはない。
むしろ暮らしの中で本国と海外の違いを知り、
ウザかった家族のありがたみを感じることとなる。
それを理解するためにも海外で揉まれる必要もあるだろう。

安易な目的で問題は解決しないが行動しないよりはまし。
なんらかのキッカケを掴むことは可能。
そんな点では何も変わっていないと思えるケナは成長した。
モヤモヤがなくなることはないが・・・。

派手でもなく地味でもなく平凡な日々から得る経験が人には大切。
そんなことを感じた映画。
レビューが高くなるか低くなるかは感じ方の違い。
大いに共感する人とそうでない人と大きく分かれそうだ。

ケナを演じるのはコ・アソン。
韓国は美人女優が多いイメージだが、至って普通。
(失礼ですね)
それが等身大の若者を映し出すようでいい。
韓国映画特有の派手な演出もない。

時にはそんな作品を観るのもありだね。

食べ物のはなし 特別編 鰻のせいろ蒸し

今回は九州旅行3連発の最終回。
楽しい時はあっという間に過ぎていきます。

最終日に向かったのは福岡・柳川。
先月のブログでも紹介しました。
柳川名物といえば「柳川なべ」。
そして「うなぎ」です。

鰻でも一般的な蒲焼ではなくこちらで有名なのはせいろ蒸し。
これまで食べたことはあるでしょうか。
記憶を辿っても思い出せないので、きっとないのでしょう。

柳川下りをした周辺にも有名店はありますが、
観光客が多いこともあり値段は高めだそうです。
その選択も悪くないですが、せっかくなら地元の人気店に出向きます。

柳川の中心から車で15分程の場所にある「うなぎの原田」さんです。

お店の看板も鰻。

こちらは予約不可の行列店。
発券機での先着順になります。
柳川下りを楽しんだお昼に入店すると到底食べることはできません。
完売もあるようです。
そのため男5人組は10時過ぎにお店に入り発券機で順番を確保。
それでも8番目でした。

柳川下りの後、再びお店にお邪魔しました。
少しの待ち時間はありましたが、スムーズに入ることができました。
何ごとも調査と準備が大切です。

まずはビールで体を整えます。

なんだかんだ言いながらずっとビールを飲んでました。
そして他では食べたことのない品も頂きました。

肝揚げ

個人的には好きな味。

そして、メインの登場です。
特上せいろ蒸し(うざく付)4500円

こんな感じで運ばれてきます。
そして特上にはうざくがセットになります。

これだけでずっと飲んでいられます。
この日はなぜか写真がフィルム仕様になってしまいました。
少し雰囲気が出ていいのかもしれません。

ふたを開けると迫力ある鰻が登場します。

ふわふわの鰻のまわりには錦糸卵がちりばめられています。
そこに箸を入れ、蒸されたご飯と共に力いっぱいすくいます。
いい香りが漂い幸せな気分が広がります。

「お~、いいじゃないか、この感じ」
思わず口に出してしまいました。

今回は贅沢にも特上。
鰻も2段になっています。
至福のひと時といってもいいでしょう。

肝揚げ、うざくをつまみにビールを飲み、そして鰻のせいろ蒸しを頂く。
旅行の締めには最高の食事です。
これ以上、満足することはありません。

こうして充実した食べ物ツアーも終了。
太っても気にすることはありません。
ごちそうさまでした。

ホワイトカラー消滅 私たちは働き方をどう変えるべきか

歯に衣着せぬ表現をされる冨山氏なのでかなり辛辣な書籍と想像した。
のほほんと暮らしているホワイトカラーは消滅し不要になるぞ!
と厳しい言葉を浴びせる内容と思っていた。
その香りはあるが、そこまで強烈ではなかった。
少し安心したかも(笑)。

この類の書籍を読む場合、以前は自分と重ね合せて読んでいた。
自分自身が今後どうしていけばいいのか?
そんな危機感を持ちながら読むことが多かった。
今でもその部分がないわけではない。

しかし、60歳手前で一通りの経験した今、そこまで真剣に自分を重ねることはない。
むしろ下の世代。
息子や娘はどう対処していけばいいか、
会社のメンバーにどうしてもらいたいか、
学生に何を伝えるべきか、そんな目線で読んでいた。

深刻な人手不足は言うまでもない。
採用支援を行う会社として毎日のように現実に晒されている。
一方でAIによって無くなる職業や仕事が語られる文脈も多い。
狭間に立つ者は自分の立ち位置に戸惑うだろう。

超売り手市場で学生の就職先への危機感は薄らいでいるが、
未来に対して不安は大きい。
漠然とした未来に期待感ばかり持たせるのは危険だが、
社会に対してネガティブになって欲しくないというのが個人的な考え。

そんな時に本書は有効的だ。
大学進学率が圧倒的な今、大卒の優位性がないのは事実。
すべてがホワイトカラーになれることはない。
古い価値観は捨てた方がいい。

多分、今の若者は現実を理解しており、親世代の方が古い価値観に縛られている。
50代の管理職も・・・。
僕が危うい世代なのは間違いないが、
仕事柄、幅広い層と接し何とか踏みとどまっている。

冨山氏はローカル経済の重要性を語ることが多い。
本書でもグローバル産業のホワイトカラーから
ローカル産業のエッシェンシャルワーカーへのシフトを取り上げている。
いずれホワイトカラーの仕事はブルシットジョブになってしまう。
そうなる前にアドバンスト・エッシェンシャルワーカーになれという。

確かにそういえるだろう。
僕の場合、ドブ板営業からスタートし、本書でいう「駅長さんモデル」を経験しただけ。
それが却って良かった。
そもそもホワイトカラーの能力がないかもしれないが、
ローカル企業で一通りやれたのはシアワセなこと。
ローカルな中小企業も悪くはない。
おススメするつもりもないが、ひとつのケースにはなる。

本書には世代ごとのホワイトカラーの処方箋も著されている。
特に若い世代には勉強になるのではないか。
可能性も広げられるしね。

映画「ANORA アノーラ」

予告編はどれだけ観たことか。
ナンパな恋愛映画と思っていたが、気づいた時にはアカデミー賞の各賞にノミネートされていた。
結果的に作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞、編集賞を受賞。
ほぼ独占といっていい。
昨年の「オッペンハイマー」が硬派な作品だけに傾向の違いに驚いた。

ナンパな恋愛映画は予告編の顔。
アノーラがストリップダンサーで「契約彼女」なのでR18+と思ったが、そんな優しいものではない。
オープニングからかなりきわどい。
ロシア人のバカ息子との激しいシーンも想像以上。
そりゃあ、18歳未満は観ちゃダメだよね。
隣の観客が若い女性だったので、やや緊張してしまった。
カップルも多かったが、どんな感想を共有するのだろうか。

本作の意を汲むのは難しい。
アノーラは純粋で一途な想いだけだったのかもしれない。
バカ息子も葛藤や苦悩があったのかもしれない。
しかし、ドラッグと酒とセックスに明け暮れ贅沢三昧の姿を見ると60歳前のオッサンはたじろく。
本当に一途?
その苦悩は本物?
と思ってしまったり。

ただ、なんだろう。
有無を言わせぬスピード感がたじろくオッサンを凌駕する。
若さが世間の常識をぶっ飛ばす。

ただ、勢いは長くは続かない。
常識面したぶっ飛んだ司祭が現れたあたりから物語の様相も変わる。
そして登場するバカ息子の両親。

僕がバカ息子といっちゃいけない。
あくまでも御曹司。
いっていいのは実の両親だけ。
両親は誰に対してもストレートな物言い。
自分たちが一番偉い。
この親にしてこの息子か・・・。
そんなことも思ったり。

一体、誰がまともなのか。
一周回るとアノーラが一番まともにみえる。
きっと人なんてそんなもの。
職業や人種や収入で人の価値を図る。
グルーッと回ってようやく人の価値に気づくのだ。

すべてを客観的に見ていたイゴールという寡黙な男がその役目。
だからチープな恋愛映画で終わらず、アカデミー賞を受賞することにもなったのだろう。
それは違うか(笑)。

これからアノーラはどこへ向かっていくのか。
なぜか彼女には幸せになってほしいと願う。

そしてバカ息子、いや御曹司はこれからまともに働くのか。
どうでもいいことも観終わった後に感じたのだった。

映画「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」

2025年アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞受賞作品。
偶然だが受賞した当日に鑑賞。
その割には映画館は空いていた。
翌日からだろうね(笑)。
本作が受賞したのは大きな意味があるかもしれない。

僕らが普段目にするニュースは表面的がほとんど。
その出来事を間接的に端的に報道する。
パレスチナとイスラエルの問題も戦争の悲惨さは伝わるものの、
あくまでも外部からの視点。

当事者がどんな状況なのか、
ひとつの村や家族がどんな状態なのかは分かりにくい。
それはマスコミを責めているのではなくやむを得ないこと。
だからこそドキュメンタリー映画の訴求力が必要。

本作は今の戦争が起きる少し前を描く。
2019年から2023年10月までの4年間の記録。
それもパレスチナ人青年と彼の活動を支えるイスラエル人青年の友情を描きながら。

僕らが無責任にこの問題を語ることはできない。
イスラエルを一方的に責めるのも間違っているだろう。
「セプテンバー5」を観れば明らかにパレスチナが悪いと映るし。

国と国との争いごとを簡単に非難するのは無知を認めているようなもの。
但し、置かれた状況から多くを感じ取ることは必要だし、
そこに関わる人の悲劇を理解することも必要。

敵対する両国だが、全ていがみ合っているわけではない。
パレスチナ人バーセルもイスラエル人ジャーナリストのユバルも互いに認め合い解決を目指す。
それが本来人間の持つ真の姿のように思える。

バーゼルは本作ではイスラエルを相手にカメラを回し続ける監督でもある。
ユバルも共同監督で名を連ねる。
映し出される映像は時に目を背けたくなる痛ましい場面は多い。
衝撃も大きい。

本作は時系列にパレスチナ人居住地区マサーフェル・ヤッタの変わりゆく街を映すが過度な演出は皆無。
ナレーションが入ることもない。
必死で撮り続けた映像を編集し流すだけ。
その方が戦争の悲惨さがより伝わるのかもしれない。

アカデミー賞授賞式はバーゼル監督、ユバル監督の並ぶ写真が印象的。
平和を望みながらの笑顔。
多くの人がこの作品に触れることになればいい。