おはようございます、安田です。
はじめに…今回の豪雨で甚大な被害を受けられた皆様へ心からお見舞い申し上げます。
犠牲となった方は戻ってきませんが、一日も早く平穏な生活に戻れるようお祈り致します。
遠くにいて、特段これといった専門技能もない安田が出来ることは募金することと、落ち着いてから旅行に行くことぐらいですかね。
旅行と言えば(?)2週間ほど前の6月30日、天草地方の隠れキリシタン関連施設が世界遺産に認定されました。
長崎・天草「潜伏キリシタン」 世界遺産登録決定(日本経済新聞)
7年ほど前に、隠れキリシタンを題材とした遠藤周作の名作『沈黙』を買っている自分の先見の明を褒めざるを得ません。
あまりに昔すぎて積ん読の一番下にあり(つまり読んでない)、文庫本が変形していました。遠藤周作氏には何とお詫びしてよいのやらm(_ _)m
関連して、朝日新聞でこんな記事を見つけました。
現役のかくれキリシタン指導者「これからも静かに祈る」(朝日新聞)
かくれキリシタンの信者組織の代表、村上茂則さん(68)は「世界に誇れる遺産として認められた。先祖も喜んどると思う」と語る。
そうです、隠れキリシタン、今もいらっしゃるんですよ。
もちろん信教の自由が認められている現代では、隠れていませんよ。
キリスト教の排斥により指導者となる外国人司祭がいなくなったため、またキリスト教の信仰を隠すため、地元の信仰と混ざり合って独特の信仰を形成し、それが現代まで引き継がれているそうです。
ちょっとびっくりですよね。
ところで、イエズス会の宣教師ザビエルが来日したのは1549年、鹿児島でした(以後よく広まるキリスト教!)。
1541年にポルトガルを出発し、各地で宣教を行いながら彼らは地球の裏側まで旅をしてきました。
上司の臼井さんにも「疑問を持て!」と常々言われていることですし、ここでちょっと考えてみたいことがあります。
そもそもの話なのですが、なぜザビエルは、わざわざ危険な旅をしてまで日本に来たのか。
もとい、何が彼らを宣教に駆り立てたのか。彼らに直接どんなメリットがあるのか。
答えは彼らの原点であり聖典である聖書にあります。いわゆる聖書は、旧約聖書(イエスより前の話)と新約聖書(イエス以後について書かれている)に分かれます。前者はユダヤ教の聖典であり、キリスト教では両方を聖典としています。
ちなみに、両者と仲があまり良くないイメージのあるイスラム教も両方を聖典としています。
さて、新訳聖書のメインはイエスの言行を収めた「福音書」ですが、4つあります。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人がそれぞれに書き記した物です。
内容は著者によりそれぞれ微妙に異なります。
しかしどの福音書も、イエスが処刑の後に復活して「全世界に行って私の教えを広めなさい」と弟子に語るシーンで終わります。
つまり、キリスト教を信じ、実践するということは、その教えを他者に広める事とイコールなのです。
そういう背景があるなら、なるほど、わざわざ地球の裏側まで来るのも分からんでもない。
宗教って、あんまり意識しないと思います。
日本人に信仰する宗教を聞くと「無宗教」という答えが一番多いそうですが、
みなさん、ご飯の前に「いただきます」って、言いますよね。
なぜ「いただきます」を言うのか。何を「いただく」のか。
生産者の方々への感謝の他、やはり犠牲になった命への感謝があると思います。
大前提として、「命」という、目に見えない物を信じています。
概念はあっても、実体を見た人はいない。それでも確かに存在する信じるのが信仰であり、宗教だと思います。
その意味では、日本人の多くも宗教を信じていることになるかと思います。
宗教と聞くとなんとなく怪しい、怖いといったイメージが一般にあることは否めませんが、それぞれの文化の根幹をなしているんだなと、改めて感じました。
……何の話でしたっけ。。
そうそう、長崎。
長崎行きたいんですよ。ハウステンボスと、変なホテル。あと浦上天主堂。
時間はかかりますが、鉄道で行って、途中下車して、土地のものを食べて、買い物して、風土を感じて…っていうのも、贅沢でいいかもしれませんね。
相変わらずまとまりがありませんが、今日はこの辺で失礼します(*´∀`*)ノ