https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309464068/rashita1000-22/ref=nosim/
最近、とっても気になっていることがある。
みんながみんな、youtubeばっかり見ていることだ。
特に若い人、つまり10代〜20代の人たちに顕著に感じられる。
彼ら、彼女たちは、それこそ、ずっと朝から晩までスマホでお気に入りの
動画(昔のテレビ番組!)をyoutubeで見ている。
そう、みんなテレビでテレビを見なくなっている気がするのだ。
https://matome.naver.jp/odai/2136067371075638901
僕はテレビが好きだ。
昔も今もテレビは僕にとって一番身近なメディアだ。
ニュースも好きだし、ワイドショーも好きだ。
ドラマも、映画も、お笑いも、バラエティーも、アニメも、スポーツも。
いつも振り返ると、僕はテレビとともに過ごしてきた。
みなさんのおかげも、めちゃイケも終わって、サザエさんも日産に変わったけど、
テレビは相変わらず特別なメディアで、
怠け者の僕は、世間を知るメディアとしていまだに一番信頼している。
テレビを抜きにマスメディアなんて、なんの意味があるのだろうか?
テレビに出たことのない有名人なんて、有名人って言えるのだろうか?
テレビを見ずにこの進行形の「いまここ」を知ることなんてできるのだろうか?
そんなことを思うほど、振り返ると僕はテレビに毒されてきたような気がする。
もちろんテレビ見ない方が、人として生産的な生活がおくれるという意見も正しいし、
現に今はネットをはじめいろんな情報を得る手段があるだろう。
テレビを見ない生活の方が、見る人よりも4.8年寿命が短くなるなんてデータもある。
うん、たぶん、それも正しい。
テレビが無い生活の方が本が読める、勉強する時間もできる気がする。
でも、どうだろう。
僕が思うに、
テレビは安価な娯楽を老若男女、誰にでも提供し、
学ぶ気がない人にも、好んでいない人にも受動的に興味と情報を与え、
人々の意見のコンセンサスをはかり、
迷信を暴き(容易に騙しもするけど)、
みんなの共通の話題を提供し、
コミニケーションを促し、
何よりも人々の孤独を癒した。
マスメディアとは、僕の中で新聞よりも、
雑誌よりもWebよりも、ましてやラジオよりもテレビのことだ。
しかし以前は、みんなでブラウン管や液晶パネルを見ていたが、
今、僕たちは小さなスマホの画面をひとりで見ている。
いつの間にかマスメディアはパーソナルメディアに変わってしまった。
テレビは受動的に、CMを筆頭に、好んでもいない情報を雑多に押し付けてくれる。
その分、余計なことをたくさん教えてくれた。
今はなんでも知りたいこと、思った瞬間反射的にググると、その答えだけを教えてくれる。
能動的に調べた結果、すぐにわかるから記憶のメモリーには残らないし、
(やはりアイドマのMは大事だと思う。検索時代はなおさら)
余計なことも教えてくれない。
マクルーハンの有名な言葉がタイトルの『メディアはマッサージである』という、
1967年ながら、極めて今日的な示唆に満ち溢れた本(本当に示唆しかない!)を引用すると
「あらゆるメディアはわれわれのすみずみにまで完全に作用する。
メディアがもたらす帰結は、個人的にも政治的にも経済的にも美的にも心理的にも
道徳的にも倫理的にも社会的にもすみずみまで浸透するので、
われわれのあらゆる部分が例外なしにメディアによって接触され、影響と変更を被ってしまう。」
問題はテレビが長年影響力を与えた「影響と変更」だ。
そしてこれからスマホが与える「影響と変更」だ。
最後にマクルーハンはこの本の中でこう言っている。
「人間が作り出したメディアという環境が、逆に人間の役割を定義する」
ならば本当の意味で考えなくてはならない問題は、
スマホというメディアが人間の役割を定義した時、どんな役割になるかということだ。
高井でした。