安田です。
前回の続きです。
1週間お世話になったホテルのシャトルバスに乗って空港へ向かいます。
名古屋市営バスの2/3ぐらいのサイズでしたが、乗っていたのは私の他にパイロットの制服を着た中年の男性2名のみ。
僕の恰好から察したのか『DCには観光で来たのかい?』と尋ねられました。
「そうです。スミソニアン巡りが主目的。でもアーリントン墓地で第二次世界大戦の戦没者にお参りするためでもあります。」
パ『おおお、そうなのか!本当にありがとう!!』彼のテンションが急に高くなりました。
この国の軍人に対する敬意はものすごい物があります。
空港では「あなた方のアメリカに対する貢献に敬意を表します」というアナウンスを何度も耳にしましたし、様々な施設やサービスで軍人だけが特別な特典を与えられていました。
閑話休題。
先程のパイロット氏は元空軍勤務で韓国に駐留しており、娘さんは今も韓国の大学に通っているのだとか。
ちょうど金正恩が核かミサイルの実験をした直後だったので、不安だよね~と雑談していました。
「ちなみにどちらの航空会社にお勤めで?」
パ『サウスウェストだよ』
「あなたの会社、マーケティングの本とかでよく見るよ!!すごい!!一回乗ってみたいのよ!!」(でもごめん!今日はデルタなんだわ!!!)
空港で昼食を済ませ、暇なので新聞を買って読んでいたところ、ふと広告に目が行きました。
まさかこんなところでUFJの広告を目にするとは。
日本を発って約1週間、久しぶりに実家のような?安心感を感じました。
さて日本ではまず目にすることのないボーイング757型機に乗り込み、ロサンゼルスを目指します。と言っても僕は寝てるだけですが。
チケットを取ったときは全然気にしていなかったのですが、アメリカって東西海岸を行き来するだけで6時間もかかるんですね。
ただ時差の都合上、西向きに飛ぶと時刻は3時間しか進みません。なんだかクラクラしてきます。
大体寝ていた気がします。寒すぎてキャビンアテンダントの方が通る際に…
「すみません、毛布って借りられたり…」『ないわよ!』
だよね~~~~
ともあれ無事ロサンゼルスに到着。今度は遅延なく、定刻通りでほっとしました。
たしかこの時点で午後8時ぐらいだったのではないかと思います。とりあえず空港近くのホテルに移動します。
ホテルのシャトルバスに乗り込みます。
3列シートで、隣お二人はかなり高齢なアジア系のご夫婦でした。
自然に雑談が始まります。
「どちらから?」
おばあさん『実はここに住んでるのよ。旅行の帰りだけど、今日はホテルに一泊ね。あなたも旅行?』
「はい、日本から来ました。」
おばあさんは目を丸くして『まあ』とだけ言って、とても優しそうな柔らかな声で「ひい、ふう、みい、よ、いつ、む…」と日本語で10まで数え上げ、続いて、記憶が曖昧ですがおそらく「夕焼小焼」の出だしを歌ってくれました。
「えっ、どうして。日系の方ですか?」びっくりして咄嗟にそう言いましたが、なんとなく発音が日本人のそれでない気がして、少し違和感を覚えていました。
おばあさんはご機嫌な様子で少し笑って、窓の外を見ていたおじいさんに声を掛け始めました。
聞こえてきた言葉を聞いて、少し後悔しました。
聞こえてきたのは、韓国語だったのです。
年齢を鑑みるに、おそらくは歌も数え方も旧植民地時代の教育で覚えられたのでしょう。
両国間には今も歴史問題が存在します。
はたしてお二人からどういう言葉が返ってくるのかと不安でしたが、
おばあさんとの話を終えたおじいさんは、流ちょうな英語で語ってくれました。
『私たちは40年前に韓国から引っ越してきて、衛星通信のエンジニアとして働いてきたんだよ。
アメリカに来た時は本当に大変だった。
でも今は引退して、国中を旅行してるんだ。日本から来たのかい。
韓国と日本はすぐ近くだね。懐かしい。』
40年前というと、朴正煕の独裁体制の頃でしょうか。
韓国の高度経済成長である「漢江の奇跡」があった頃だと思いますが、その多くは日本からの資金と技術に依るものであったはずです。
韓国の技術水準が決して高くなかったであろう時代にアメリカに渡り、衛星通信のエンジニアとして仕事を得たというのだから、相当に優秀かつタフな方だったのでしょう。
予想外のフレンドリーさに驚きつつ、
能力ある人がきちんと居場所を得て活躍できる社会、これが良い人材を惹きつけ、アメリカが持つ成長力の源泉なのだろうと実感しました。
さて、そんなこんなでホテルに到着。
写真をご覧いただければ分かるように、目の前にはヤシの木(のような南国っぽい木)。
気候が明らかに温暖になり、過ごしやすくなりました。
翌朝、現地の友人がピックアップしてくれました。
本当は僕が友人宅のエリアまで赴くつもりでしたが、
『地下鉄は危険だからダメ。こちらから迎えに行く』と言われ、ホテルで待つことになりました。
ワシントンD.C.とは全然違うんですね。
『とりあえず昼ごはんにしよう』シーフードレストラン予約してくれているそうで。ありがたい。
久しぶりにさっぱりした物食べられる~!と油断(?)しましたが、結局食べたのはこれ↓
これでもですね、なんだかフライドポテト以外の野菜をとても久しぶりに食べた気がしたんですよ(多分事実)。
肉以外のたんぱく質も、久しぶりに食べた気がします。美味しかった…。
どこに行きたい?と聞かれたので、即答しました。
「大学と博物館を見たい!」
超名門、カリフォルニア工科大学(通常:Cal Tech/カルテック)。
NASAの研究機関「ジェット推進研究所」もここにあります。
ジェット推進研究所って、映画「オデッセイ」で、地球側で頑張っていたエンジニアたちが所属していた組織です。
こちらはたしか南カリフォルニア大学。大学ランキングで上位に来る学校です。
写真にはありませんが、大学警察(アメリカでは自前の警察組織が認められています)のSUVも様々なところに止まっていました。とにかくスケールがデカい。
あとは何かの博物館に行きました。たぶん、ロサンゼルス自然史博物館だったと思いますが…。
夜は夜景の見えるレストランで食事…なんですが、ゆっくり回転していて段々景色が変わっていきます。
こういうの、日本にもありますよね~
↑アメリカの大手銀行ウェルズファーゴの大きなビル。
リーマンショックをテーマに卒論を書いたので、ウェルズファーゴは大変馴染みのある銀行です。
「本物!ウェルズファーゴってホントにあったんだ!」と周囲には理解されがたい興奮を覚えました。
帰途に見つけた建物。
このカッコよさで、市の図書館らしいです。すごい、、、
翌日。
お昼はなんか日本っぽい物が良い!と言ったらラーメンに連れて行ってくれました。
店員さんの中には日本人顔で、日本語出来る方もいました。引っ越してこられたのでしょうか。
(モノの写真撮り忘れました…)
味は日本で食べられるラーメンとあまり変わりませんでした。
これ以上濃くされても困るので、なんの不満もございません。
リトルトーキョー
見覚えのある社名ですね…
もしかしてあのヤマザキ?と思ったら、まさしくあのヤマザキでした。
フレンチトースト。
なるほど歩きながら食えと!
日本だとお行儀悪いですが、アメリカなのでまあ良しとしてください。(※食べ歩き用なのか持ち帰り用を意図した物かは不明です)
しかしこれ固い&甘い!(※批判ではありませんよ)
抹茶アイス。大好きなのでついつい食べてしまいます。
……が、もうちょっと経験から学ぶべきでした。
一見普通っぽいんですが、遠近法を勘案して手のサイズと比べていただくと、デカさが多少ご理解いただけるかと。
あと表面にめちゃくちゃ抹茶の粉を掛けられました。
アイスだけで充分味ついとるじゃん?!
そんなに粉掛ける必要ある???という疑問は湧きました(※批判ではありませんよ)。
柿の種
まさかこんなところで出会えるとは。
いやもうほんとに実家のような安心感。実家住まいですが。
この日の夜はアメリカ最後の晩御飯です。
「アメリカの和食食べてみたい!本格的な和食じゃなくてアメリカ人の口に合うようになってる和食食べたい!」
とちょっと面倒なことを言いました。
すみません、面倒なこと言ってたと思います。すみません。
黒い海苔が表面に巻いてあると美味しくなさそうに見えるそうで、カリフォルニアロールが一般的らしく。
そりゃここカリフォルニアですからね。
いざ対面すると、確かに鮮やかではありますね。食欲そそります。
いや、それなら握りで良いのでは??????と思わなくもないですが(※批判では(以下略))。
なぜラー油を滴下しようと思ったのか、それも下がラー油の海になるまで…。
アメリカ人の発想には驚くばかりです。
しかし意外と美味しく、驚きました。
さて、旅のイベントはこれですべて終わり。
日本での再会を約束して、後は帰るだけになりました。
夜、ホテルのコンシェルジュに
「明朝、空港へのタクシーを用意してほしい」とお願いして快諾してもらえたので、
チップ渡さなきゃ…と思って差し出したところギョッとされました。
『このお金は何?』
「えっ、チップ」
『いや、いいよ。これぐらいで』
「あ、そうなの?!ごめんね、僕の国にチップのカルチャーないから、どういう時に渡すのかよくわかんなくて…」
『気持ちだけ受け取っとくよ!(満面の笑みで握手)』
アメリカ人~~~!!!
用意された車はシボレーの、映画でよく見るような黒い巨大なSUVでした。
ご機嫌なドライバーは、
『大きいことは良いことだ!俺はこの車が本当に気に入っている!もっと稼いでもっと大きい車に乗り換えるんだ!』
と何度も言いながらエンジンを吹かしまくっていました。
雑談好きのドライバーは『どこから来たんだ』『仕事は何してる』など僕を質問攻めにしてきます。
日本から来たと言うと、
『それはうらやましい。国が安定しているって言うのは大事だぞ』と唐突に真面目モードになりました。
曰く『俺の国はもうない。ある日崩壊して、消えた。
暮らしていけなくなったから妻とアメリカに引っ越してきた。
あんたは旅行でここに来たが、俺はそうせざるを得なかったからだ。
でもこうして良い車に乗りながら家族を養うことができている。
アメリカには感謝している。』
訛りと、故郷の通貨単位が「ルーブル」だと言っていたことから、旧共産圏の出身なのでしょう。
何ともまあこの国は本当にいろんな人がいるのだな、と改めて思いました。
語られたので、ちょっと僕も語りたくなりました。
安田「ところで、新幹線って知ってる?」
ドライバー『聞いたことはあるぞ。日本の新幹線は有名だ。』
安「日本最初の高速道路と新幹線は、アメリカが貸してくれたお金で出来たんだ(※厳密には世界銀行)。
戦争が終わってから約20年後に完成した。」
ド『へぇ、たった20年で。』
安「今までは単に、アメリカって、たくさんお金貸してくれてなんて金持ちな国なんだろうと思っていたけど。
この国を旅行して、いろんな人種がいて、それぞれ能力が認められて働いているのを見た。
それがこの国の強さの根源なのかな~と思った。良い国だよね。
本音を言えば、アメリカのご飯はあんまり美味しくないけどね」
ド『お前もそう思うか!アメリカのご飯はあんまりだよな!』
そんなこんなで空港に到着しました。帰国便はANAです。
チェックインカウンター、一番乗りでした。
僕が持っている日本のパスポートを見てか、ANAのグラウンドスタッフの方が「おかえりなさい」と声をかけてくださいました。
旅行は随分楽しかったのですが「あぁ、やっとこれで帰れるんだ…」と猛烈な安心感が沸き上がってきました。
帰国便はボーイングのB777-300ERという機種で、政府専用機にも使われている、超長距離を飛ばすための大型機です。
エンジンは2つしかついていませんが、ジャンボジェットがエンジン4つ使って生み出すエネルギーと同等のエネルギー(推力)を、2つのエンジンで発生させています。
さすがにビジネスクラスは高いので無理でしたが、エコノミーとビジネスの間=プレミアムエコノミーがそれなりに安かったので、それにしました。
座席がエコノミーより広く、倒れる量も全然違います。
24席中4席ほどしか埋まっていなかったので、あまりニーズがない時期だったのでしょうか…。
ブランケットは最初から1枚座席に置かれていましたが、CAさんがわざわざ「ブランケット追加で必要であれば言ってくださいね」と言ってくださりました。
圧倒的にブランケットが足りなかったこの旅!ありがたい!
離陸直後に出た昼食。カレーをチョイス。
乗客が少なかったので、CAさんがめちゃくちゃ構ってくれます。
消灯時間中にふと目覚めると、それを見つけてお水を持ってきてくださり、「何か食べますか」とメニューを渡してくださいました。
高度13,000mでカップ麺食べる機会もそうそうなかろうと思い、どん兵衛をいただきました。
ずっと寝ていたのでもちろん食欲なく。着陸前のご飯はおかゆにしました。
たしか半分ぐらいでギブアップ。
こうしてすべての旅程を無事に終え、帰宅しました。
思い立ったらすぐ、何も気にすることなく海外旅行できたのはもはや過去の話ですが、
はやくそうした空の旅が戻ってくることを願いながら筆をおきたいと思います。
長文お付き合いいただきありがとうございました。