こんにちは、安田です。
新型コロナウィルスが猛威を振るい始めて1年半。
海外旅行に行けなくなって久しいので…以前の旅を振り返りたいと思います。
2017年にアメリカ(ワシントンD.C.とロサンゼルス)に行きました。
行きは世界最大の航空会社の一つ、デルタ航空です。
ANAも検討したのですが、「デルタの往復運賃 < ANA片道運賃」だったので、デルタにしました。
これがのちに悲劇を生みます。
とはいえ道中は至って普通。
夕方出発の便だったので、出発してしばらくしたら夜ご飯が出てきました。
アメリカンな料理ですがまずいとは思いません。美味しいかって言われると…うーん、ふつう?
機内食1回目
2回目
深夜にチーズたっぷりの包みが出てきて、さすがアメリカの航空会社…と思いました。
3回目
三回目の機内食は着陸直前でした。
ベトナム旅行の片道4~5時間程度は経験あるのですが、初めての12時間越えフライトで変に緊張してあまり寝られず。
食欲もなかったのでフルーツのみいただきました。アメリカ人こんなに食べるの?!
デトロイト空港に着陸。ここでワシントンD.C.行きに乗り変えます。
デルタの拠点港なだけあってデルタ航空だらけでした。
というかデルタ航空だけでターミナル1つ独占していました。すごい。
入国直後、「は~い、ランダムだからね~、君ちょっと来てね~」とセキュリティーのお兄さん&朗らかなおばちゃんに言われて壁際のブースに呼ばれました。
「ランダムだからね~ちょっとカバン借りて良いかな~」といって、表面をガーゼのようなもので拭われます。
何かと聞いたら、テロを防ぐために、爆発物の残渣がないかチェックしているのだと。
もちろん心当たりはないのですぐに無罪放免となりました。
デトロイトは自動車産業の中心地として有名で、日系メーカーも多数進出しています。
看板は基本的に英語+日本語。たまに中国語、その他。
ターミナル間を移動するためのモノレールも走っていました。
無料なので無駄に乗って遊びました。
あまり寝ていなかったため体調がよくなく、かといっておなかは空いたのでレストランで「一番軽くて食べやすいやつ!」と言ったら、
これが出てきました。なんでやねん。
この時点で帰りたくなりました。
さて、乗継便の出発までは2時間程度なので、そろそろ搭乗口へ…と思ったら、デルタからSMSが。
「30分遅延します。」(理由は書かれていません)
30分後。
「もう30分遅延します。」(もちろん理由は書かれていない)
30分後……
搭乗口には乗客があふれかえり、みんなぐったりの様子。
熱も出てきたようでやたら寒い。
ゲートに詰めているデルタのスタッフに「遅れている理由はなんですか?天候?機材トラブル?見通しは立っているのですか?」と聞いても「知らない。私だって知りたい。」
「寒いので、ブランケットをお借りできませんか」と聞いても「そんなものはない」と一蹴。代わりに水をくれました。なんでやねん。
「そろそろ30分経つな~」「どうせ今度もダメだろ…」SMSが届くたび、みんな乾いた笑いを発していました。
一応ホテルに連絡しました。
「21時頃チェックインで予約したのですが。飛行機の遅延で何時につきそうか分かりません。遅れるってことだけ一応連絡を。」
「分かりました。えっと、キャンセルします?」なんでやねん!
「空港とのシャトルバスは23時(?)までだから、それ以降はタクシーで来てね」とのこと。
寒すぎて途中でフリースを買いました。お値段99ドル。さすがに高すぎる!!!
そんなこんなで、記憶が正しければ5~6時間ぐらい待ったと思います。
(この時点ですっかりデルタが嫌になり、この間にANAのHPを開いて帰国便を取りました)
午前1時30分、首都ワシントンD.C.に到着。
左の塔がワシントンメモリアル、真ん中あたりの粒がキャピトルヒル=連邦議会議事堂だと思います。
空港で拾ったタクシーの運ちゃんは「アメリカ観光は初めてかい?だったらせっかくだからペンタゴンが良く見える道で走ってあげるよ!」と親切にも(遠回りしても料金変わらないシステムなのに)ちょっと遠回りをしてきれいな景色を見せてくれました。ありがとう…でも今は早くベッドで寝たいんだ……。
その日はホテルに直行して爆睡。
ホテルの人に「お気の毒様…」と同情されました。
翌日は午後起床。ホテル近くのスーパーで買い出し。
夜はルームサービスで、「軽めに」と思ってサンドイッチを注文。
…全然軽くなかった。半分いただいて限界。
体調が戻らないのですぐに寝ました。翌日に議会議事堂の見学ツアーを予約してあるので、出来れば回復していてほしいのですが。
結局、翌朝には随分元気になっていたので、無事に議事堂見学ツアーへ出かけられました。
バスは怖い(日本ですら目的地に着かない)ので地下鉄で行きます。
時刻表はなく、「何分後にどこ行きが来るよ」という案内表示だけがありました。
昼間の鶴舞線ぐらいの頻度では出ていたので、特に支障はないように感じました。
ホームはどこも、圧迫感の少ない、カッコイイデザインでした。
マナカ的なICカードがあります。1日乗車券的な機能もここに入れられました。
ワシントンD.C.とお隣のバージニア州を走る地下鉄・一部バスで有効です。
小学校の時に「電車で安心して寝られるのなんて日本だけ。海外で寝ていたら窃盗か強盗に遭う」と先生から言われたのを覚えていて、びくびくしながら乗ったのですが、極めて安全で清潔な空間でした。通勤途中と思しき現地のサラリーマンも普通にイヤホンして寝ていました。
↑お土産店はアメリカ製の物のみ扱っているんだそうです。当時はトランプ政権下で、保護主義丸出しだな~と思っていたら、それとは関係なく以前からそういう方針なんだとか。
トンネルをくぐって議会図書館にも行けます。
見にくいのですが、下が閲覧スペース?作業スペース?なんだとか(本来の議会図書館としての機能)
観光客用のスペースには普通にグーテンベルク聖書が展示されていました。すごっ。
↑この日のお昼ご飯。普通に割りばしがあったのがなんだかおもしろかったです。
翌日はスミソニアン博物館巡りでした(スミソニアン協会がやっている博物館はたくさんあります)。
……ここでも「はーい、ランダムだからね~。ちょっとカバン貸してもらえるかな~」と爆発物残渣のチェック。
直後に呼び止められていたのは黒人。これランダムじゃないな?と思い始めました。
まずは歴史から。
戦争中の日系人を特集した企画もありました。
↑太平洋戦争開戦当日の日系人の日記
これで25ドルってすごいですね。笑
お次は航空宇宙博物館
↑エンタープライズもありました(笑)
ラテンアメリカの博物館も行って、この日の最後の博物館、ホロコースト・メモリアル・ミュージアムです(ここはスミソニアンではありません)。
入館するとまずスタッフのおばあちゃんから「英語できる?館内ツアーは英語なんだけど」と英語で話しかけられます。
自信はないけど、多分大丈夫だと思います、といったようなことを返したところ「まあ英語の質問にそのまま答えようとしている時点で大丈夫だわワハハハ」と返ってきました。他の人にもやっていたのでおばあちゃんの持ちネタなんでしょう。
「リスクを負ってまで助けるべきか」(意訳)
「なぜ、と問うのをやめないで」
まだ日も高かったので、ワシントンメモリアルに寄っていきました。
ワシントンメモリアルって、これです。映画とかでよく見るやつです。
↑この景色!よく映画とかで出てきません?
(道中、大統領の長~い車列に遭遇したので動画を撮ったのですが、サイズオーバーでビデオをアップロードできず)
もう一個、ついでにホワイトハウスへ。
ワシントンメモリアルからちょっと北に歩くとホワイトハウスです。
この国の首都はどこへ行ってもライフルやマシンガンを持った警官がいました。
戦争している国の首都ってこんな感じなのかなと、ぼんやり思いました(そうは言っても、一度も危険な目に遭わず、実感はありませんでしたが)。
この日はこれでおしまい。
そんなこんなでワシントンD.C.最終日。
夕方にはロサンゼルスへ移動するため、午前中だけ出掛けました。
ホテルのすぐそばにあるアーリントン墓地です。アメリカの映画で軍人の埋葬シーンがあれば、大体ここです。
ここに行きやすいよう、すぐ近くのホテルを取ったのでした。
グーグルマップを見ながら、入り口とおぼしきゲートから入っていこうとしたところ、不愛想な警官に呼び止められました。
警「どこから来た」
「日本です」
警「どこへ行くの」
「アーリントン墓地です」
警「IDを」
「パスポートでOK?」
警「(怪訝な顔)他には?立ち入りには許可証が必要だぞ」
「え、墓地行くのに?!」
警「他のIDも出せ」
「日本の免許証しかないよ?」
警「ちょっとカバンの中身見せろ」
「?!」
ここで、後ろでじっと見ていた軍人が「ヘイ、キミは日本から来たのか」と僕に呼びかけて警官と交代しました。
2週間前まで沖縄に駐留していたという軍人と「きみは沖縄行ったことあるのかい?」「1回だけね~」なんてひとしきり話し、
「で、キミどこ行きたかったの?観光でアーリントン墓地行くなら、そこ出て、左にずっと歩いてくと見えてくるゲートだよ。こっちは軍事基地だからね」
ありがとう…最初から助けに来てくれたら、もっとありがとうだったんだけど……。
というわけで無事に到着。
……入り口で「グッモーニン!これ全員だから。全員にやってるから、荷物検査させて。鞄そこ置いて、開けてみせて!」とまたやたら朗らかな警官に検査されました。
「いいよ~。でも僕テロリストじゃないよ~」
警「もちろんわかってるよ~」
後続の白人観光客は検査されずに入場していったように見えますが。いいよもう、慣れたよ。
母方の高祖父(たぶん)が第二次世界大戦時、ガダルカナル島で亡くなっており、両国の戦没者に敬意を…というと高尚そうですが、本音は映画でよく見る場所を見に来たかったというのがほとんどです。
硫黄島の摺鉢山頂上で兵士たちが星条旗を立てようとしている有名な彫像はメンテナンス中でした。
別の場所では、ちょうど式典をやっていました。映画で見るやつ!(静かにしてさえいれば撮影は構わないようです。結構みんなスマホを掲げていました)
十分満足して、この日はそのまま空港→ロサンゼルスへ。
随分長くなってしまったので、ロサンゼルス編はまたいずれ!