中途入社のヤマゾエ君に、社内では意外と存在感が薄いと言われ
名大社の哲学者Tさんに飽きたといわれることが増え
正念場の3年目を迎えているキャリアコンサルタントの臼井です。
そんなウスイは8月から
愛知県瀬戸市へ引っ越します。
僕自身これまで9回引っ越しています。
岐阜県中津川市茄子19年→
京都市右京区鳴滝4年→
北京(白広路)半年→北京(首都師範大内)半年→
京都市(白梅町)1年→
名古屋市星ヶ丘の社員寮2年→
名古屋市川名2年→
名古屋市植田1年半→
福岡県博多市(JR竹下駅近く)2年→
名古屋市守山区7年
そして今回
*中国北京時代に、住んでいた白広路にちなんで作ったユニホームです。
10回目の引っ越しになります!
なぜ引っ越すのかといいますと
4人目がもうじき生まれるからなのです!
(しかも4人ずべて男の子です!)
7月上旬予定だったのですが、いままでの3人と同様、
早く出たいといいだし、薬で止めていますが
昨日からいつ生まれもいいということで薬の服用はやめたので、
いつ来てもおかしくない状況なのです。
明日生まれているかもしれません。
いろいろバタバタしそうな6月、7月ですが
今回の引っ越しで懸念事項が一つあるのです。
子供たちの転校です。
転校生ってどういう気持ちで学校に行くんだろう
僕自身は転校した経験がなく、田舎の学校なので保育園から中学まで13年間
ずーと同じ仲間と過ごしてきて、いつも転校生を受けいれる側だったのです。
中学校2年の時同じ地域に転校生が来て、家も近いし、クラスも同じということで
最初は一緒に行動することが多かった。
僕なりに仲良くしようと、家に遊びにいったり、一緒に帰ったり、クラスでも
積極的声をかけたりした記憶がある。
13年間の間、クラス替えがあって、今までしゃべったことがないやつと絡むことも
あったが、共通の友人がいることで打ち解けて仲良くすることができた。
しかし、まったくの共通項がない転校生の彼と自然体で話せるようになるまでに少し
時間がかかったような記憶がある。
結局自然体で話せていたのかも正直疑問だ。
違う高校に進学し、疎遠になり、今はどこで何をしているのか知らない。
13年間近い同質性で凝り固まっている僕たちに、彼は異質性を感じていたのかもしれない。
彼も自然体になれなかったのかもしれないと今は思う。
そういう異質性を感じる側に自分の息子が回るのは、僕自身経験がないので、
心配になってしまう。
ほかのみんなは知り合いで、自分だけが他人なのだ。
転職もある意味、転校に近い感覚なので、5社経験している私であれば共感できる部分も
あるかもしれないが、大人と、子供感受性はまったく違うので、やはりどうなるか心配ではある。
転職した僕は、2社目以外は、すべていろいろ目をかけてくれる人がいたことで、スタートを
比較的スムーズに切ることができた。
そういう方がいるかいないかは運かもしれないが、
本当にその存在が大きかったなと今にして思う。
受け入れる側として中学2年の僕は、転校生の彼にそういう手助けが
できていたか正直自信がないので、期待してはいけないかもしれませんが
僕のように長男、次男のために手を焼いてくれる人が
クラスの仲間にいてくれる事を心から願うしかない。
ここから親友が生まれるかもしれない!
別れはあるが、新しい出会いがあることにワクワクして
9月から新しい環境に飛び込んでいってほしいと思います。