高井です。
最近、8歳になる息子に「お父さん名大社で何しているの?」と聞かれ
「仕事だよ」
「だから仕事って何する?楽しいの?」
「う〜ん、仕事は仕事だよ。誰かに役に立つことをして、そのお礼に少しだけお金をもらうのが仕事だよ。学校で勉強するよりは楽しいかな。
でも特別楽しい!ってわけじゃないかな」
「ふーん。で、お父さんは何の役に立ってるの?」
「うーん。難しいこと聞くね。それはみんなが仕事を探すときにお手伝いする時に役に立ってるんじゃないかな?
仕事を探すにはいろんな手段があってね、でも自分がやりたいピッタリの仕事をさがすのは、ちょっと難しいんだよね、だから・・・」
小学3年性の息子には、いまいちピンと来ないらしい。キョトンとしている。
「お父さんにもうまく説明できないけど、たぶん何かの役に立ってるんだよ。だってそれでお金もらえているんだからさ」
僕が何か適当にごまかしているのがわかるみたいで、何か納得していないような顔をしているが、
途中から興味が違うことに移ったらしくそれ以上は聞いて来ない。
最近こういう「これは何?」とか「それはどういうものなの?」っていう質問がやたら多くて、彼の成長としては嬉しいのだが、むかしのアニメにあったどちて坊やみたいで、いつも回答に困る。
たいていの場合それは何か根本的な、素朴な問いである場合が多くて、世の中的な教科書的回答でも答えて置けば十分なんだろうと思うのだけど、
その問いの素朴さが深さに感じる僕の悪い癖で、彼に上手く話してあげることができなくて、なかなか会話がうまく進まない場合が多い。
でも最近は逆に彼に質問をされたら、答えを考えて探すより、逆に質問を返すようにしている。
「なんでそんなこと聞くの」とか「自分はどう思う」とか。
だからこの場合
「ねえ、〇〇。お父さんは、なんの役に立ってると思う?」
「うーん。そうだね。お父さんはお話しするのが好きだから、きっと名大社のみんなにいっぱい話しかけて一人ぼっちの子や、友達のいない人が寂しくないようにしていると思う。僕も学校でそうしてるんだ」
「ふーん。えらいね〇〇。お父さんもそうしているよ」
「じゃあ、お父さん名大社で役に立ってるんだね」
(会社での僕はさておいて、偉いぞ息子よ。少々幼すぎる回答な気がするが、勉強なんぞできなくても良い。その優しい気持ちがあればたぶん生きていける)
うーん。少々反省だった。
一般論で答えを教えなくてはいけいない!と思い込んでいたことと、彼の役に立つと言う意味を全く理解していなかったことを。
「教える=学ぶ」の関係で人と接しようとするのは間違ってはいないが、もっと根本には互いに対する理解や共有のためにある「話す=聞く」が根本にあるのだろう。
問いに対する答えは、たぶん無数にある。
現実は複合的に決まっている。一つの容易な答えに安住していないか?何だか不安になった。
以上です。
すいません、親バカネタで。