今月9月5日で43歳になった、

キャリアコンサルタントの臼井です。

 

9月5日は、旧暦でいうと伊達政宗と同じ誕生日だそうです。

織田信長がいいなと思っていたら、宮城県出身の奥さんが

信長と同じ誕生日で、東海地区出身の僕が独眼竜って

運命をあたらめて感じました(笑)

 

さて今回も長文ですが

本題に入ります!秋の夜長のお供にどうぞ!

 

 

書店で、久しぶりにスポーツ雑誌の棚へ行くと

目に入ってきた、懐かしいユニホームを着ている中田英寿だった。

 

(1チーム目のペルージャのユニホーム姿 デビューのユーべ戦の2得点は圧巻だった)

雑誌はNumberの別冊だった。

20代はかなり読み漁っていた雑誌だが、ここ最近はたまに見る程度だった。

 

彼がベルマーレ平塚からイタリアセリアAペルージャ―に移籍して

今年でちょうど20年ということで、金子達仁が一緒に在籍したチームに

訪問してインタビューをするという企画だった

 

一般的な中田英寿のイメージはどうだろう。

 

移籍が多かったイメージはないだろうか?

 

現役11年で、7チームに在籍。

イタリアでは7年で5チーム

(ペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ―、フィオレンティーナ―)

ローマではトッティの存在と外国人枠で苦しむも、リーグ優勝を経験、2位ユーベとの天王山でのゴールは伝説)

(新興勢力のパルマは過渡期に突入、チームの混迷に飲み込まれ、10番は期待外れの象徴となった)

(かつて晩年のロベルト・バッジョも活躍したボローニャで恩師の下輝きを取り戻す)

(イタリア終焉の地、古都フィレンツェ。ロベルト・バッジョの10番はやはり重かった)

 

イングランドは1年で1チームそして引退した。(ボルトン)

日本ではベルマーレ平塚で3年半。結果平塚が一番長かった。

 

自分の想いに忠実で、チームのためというより

自分のために移籍をしてきた人というイメージがないだろうか。

 

正直僕もそう思っていた。

 

自分のキャリアの実現が目的であり、組織に属さない、

ロイヤリティのない人だというイメージをもっていないだろうか。

 

でもこのイメージはもしかすると

転職回数が多い人に対して採用する側が持つものと同じなのではないだろうか。

 

そんな中田氏が

イタリア最後の地となったフィレンツェで金子氏が

中田英寿に

 

「移籍するごとにワクワク感というより諦め感のようなものを感じる」

 

と問うと。

 

「7年で5チームは多いと思うでしょ、

やりたい環境を求めていたら、そうなちゃっただけで。

お金を求めていたわけでも、優勝を求めていたわけでもなく

単純にやりたい環境を求めたから移籍した。

逆に言えば、

やりたい環境があれば移籍する必要はない。

大前提として、チームを離れること事態嬉しいことじゃない

長くいれば愛着はわくし、

誰が好き好んで知らないチームに移籍したいとおもいますか?!

 

と。

 

金子氏も驚いていたが、中田英寿から愛着という言葉を

聞くと思わなかったと。

 

ベルマーレが苦しんでいるときに出資したり、

実は地元のファンフォーレ甲府の動向を気にしていたり、

日本酒を世界に広めようとしたり。

 

よくよく考えると非常に自分の生まれ育った場所を、

大事にしていると感じる事ができる。

 

愛着を持っているのだ。

 

でもよく考えたら、僕も似た感情を持っている

事をこの本を読んで気が付いた。

社会人になって18年で5社経験している。

(中田よりは少ないけど)

僕も好き好んで転職をしている訳ではない事に、

気づかされた。

大手に行きたいとか、給与だけで会社を選んだことは僕も

一度もない。

やりたい環境や、居場所があるか、ないかが重要な要素だった。

 

転職するという決断はしてきたが、

好き好んで、この会社から離れられる!うれしい!という

気持ちで転職はしたことは僕もない、

 

やりたいことができなくなったり、出来ない事を知ったり、

居場所がなくなったり、移籍を選択しないといけないと思い

移籍している。

 

転職した人の多くはきっと同じ気持ちだと思う。

 

 

この本は移籍時の心境を今だから言える内容も含めて

語られており、実に面白かった。

 

中田自身は、

好き好んで移籍している訳ではなく

パルマやフィオレンティーナなどは結果がでず

居場所を失っての移籍でもあった。

 

ローマは与えられた役割を全うできれば、

居場所は確立しつつあったのだが、

やりたいサッカーを目指し、パルマへ移籍した。

結果だけ見ると失敗と言ってもいいだろう。

 

それでもやりたいサッカーを目指し自分の意志で

決断したことに後悔はなかったと思う。

 

そんな中田のサッカー人生を振り返る中で、

活躍したペルージャ―や、優勝に貢献したローマ

降格争いから少なったボローニャ―で、スタジアムインタビューや

街を歩いて、チームスタッフやファンから歓迎されるのはわかる。

 

しかし驚いた事に、

10番を背負って期待外れに終わった、パルマや、フィオレンティーナ―でも

インタビューの協力を得ることができ、チームスタッフなどからも再訪を歓迎

されていた。

 

最後に中田氏は

 

「今回旅を続けてはじめて気づいたことなんだけど、

サッカーってもちろん結果が大切だけど、

例えば普段からの練習に来ている態度だったり、

人との接し方だったりってところも大事だと思う。

じゃないとすべてのクラブが自分のために便宜を図ってくれる

理由が説明できないでしょ」

 

と語っていた。

 

それでは自分はどうだろうか。

 

一番ひどい態度をとっていた1社目。

自分の事を棚に上げて、会社の制度やしくみに文句を言っていた。

先輩にも後輩にも問題点を語っていた。

ここに自分の未来はないと言って退職した。

 

退職時に先輩や、かかわった方に挨拶にいくと、誰も僕を批判しなった。

お前が悪いわけでない、合わなかっただけだと声をかけてもらった。

 

辞める時に実はいい会社だったんだなと思ったことを思い出した。

でも今でもやはり合わなかったとも思うけど、嫌いじゃない。

 

三つ子の魂百までと言うけど、

働き方やマインドは1社目の影響を色濃く受けている。

 

2か月しかいなかったけど、人材紹介の原点を学んだ2社目、

昇格も、降格も、転勤も異動も経験した3社目

社長から直指導を受け、個人技が伸びた4社目

 

感謝の気持ちは持っているし、在籍時に手を抜いたつもりは

なかった。

 

100%ないけど、在籍した会社でインタビューしたいと

言ったら中田ほどは歓迎されないし、結果もだしていないけど

受け入れてくれそうな気がしているのは、僕の勘違いだろうか。

 

こういう鈍感力が武器なのかもしれない。

 

そして今5社目で5年目と在籍最長記録更新を目指している訳で

転職を考えなくていいいような関係を築き続けたいとは思っている。

 

信じてもらえないかもしれないけど

転職が好きなわけではないんです。

しなくていいならしたくはないです。実は・・・。

ただ自分の想いに人より少し忠実なだけ。

 

でもこれだけはどうなるかわからないのも人生。

 

今を手を抜かずにやり続け、結果が出るに越したことはないが

そうでなくても、インタビューの時に場所の提供をさせてもらえて

再訪を喜んでもらえるような関係を気づいていきたいと

思いました。