久しぶりに映画館で映画をみる。
悩みに悩んで『検察側の罪人』を見る。
なんでこの映画を見るの?という質問には、
木村拓哉を見るため、と答える。

木村拓哉は何か特別だ。
年齢も同世代で
だからと言ってなんの共通点も無いが、
(ちなみにイチローも貴花田も同じ年だがそれも対して意味はない)
キムタクはもちろんカッコいいのだろうけど、
それだけじゃない特別なキムタクという存在感がおもしろい。
まあただのミーハーなfanというだけだろうけど。
ドラマでは『ラブジェネレーション』を大学生の時に見て広告業界に憧れ、
『HERO』では検察官のイメージが変わって、なんとカッコいい仕事だろうと思った。

この『検察側の罪人』は多分映画としてはあんまりだ。
原作の小説はおもしろい。
『犯人に告ぐ』の雫井脩介の作品で面白くないわけはない。
内容はネタバレなので控えるが、
どんな手段でも時効の犯罪者を裁こうとする検察官(キムタク)の正義と、
その正義を貫徹するために一線を超えるのは間違っていると考える検察官(二宮)の正義がぶつかり合う。
そんな話だ。

しかし事件ものなので、映画でわからせるには情報量が多いのだが、
特にこの映画だけでは伏線が無駄に多すぎる感じになっている。
見終わって?と思うことが多いのだ。
家族の伏線、日本国家主義の組織、そして最後…
全てはある正義を貫く検察官のなぜ、そのようなことをするのか?
その説得力を高めるためにあるはずなのだが、そうなっていない。
問題設定は面白い。でもそれだけだ。
キムタクは今回いつもの役とは違う、
絶対正義の側ではなく、ある正義はあるが、悪い側の役なのだが
キムタクをもってしても見ていて共感は湧かなかった。
ただの自己都合で犯罪側に堕ちていった検察官にしか見えなかった。
だからニノに詰められるキムタクの痛々しさしか感じなかった。
(ある意味そこはいいかも)
でもそんなことはどうでもいいのだ。
全てはキムタクだ。
ニノだ。
両方とも役者としては魅力的で互いの演技合戦は素晴らしい。
ただのアイドルと思うと印象が変わる。
でもこれ、ひと昔ならテレビの歌番組でも並ぶ組み合わせ。
ふと我に帰ると何か変な感じだ。
原作はおもしろいのになあ。少し残念。
(あ、この映画、すでに社長がブログで書いていました。今気づきましたがもう遅い)
以上、高井でした。