これは中学生の時の私、松本の夢です。
それまではケーキ屋さんとか、漫画家とかを将来の夢として掲げていたのですが、
中学生となった私の夢は「鳥」でした。
もしかしなくてもこれって中二病ですか。

中二病かはさておき、なぜ鳥になりたかったのでしょう。
当時の私の見解はこうです。

 

「鳥は、自由だから。」

 

勘弁してほしいですね。

これは今だから思いますが、
当時の自分は、将来の夢を叶えるのはごく一部の人間だけであると知ったり、夢のためには辛い現実があると知ったり。「夢を叶えること」が「辛いこと」にすり替わっていました。
ただ知っただけですので、知ってやめたのは自分でありますが、
行くあてをなくし、八方塞がりのような気がしました。

手と足ではどうしようもない現実に、翼があれば…!
思えば、学校で歌う機会を与えられる「翼をください」はそんなような歌ですね。空には悲しみがなく自由があり、自由はとても良いものとされ、翼があればその自由を手にすることができる。
路頭に迷った中学生の私が歌の影響を受けて、自由は良いものだと信じ、翼の生えている鳥に憧れるのも納得というわけです。

 

さて、当時の中二病にそれっぽい理由を付け、原因を身勝手にも歌のせいにしたところで、
今の私は鳥になりたいよりも、鶏を食べたいと言う想いの方が強いですね。どうでもいいですね。

この鳥になりたかった私から何をお伝えしたかったのかと言いますと、思い込みって勿体ないということです。

「鳥は自由である」中学生の自分はそうであると思い込んでいたために、鳥になりたいという夢にまで発展したわけです。

「鳥が自由である」とは勝手に定められているだけですね。鳥は本当に自由なんでしょうか。それ次第では私の夢はまた変わっていたかもしれません。

思い込みに振り回されない人間でありたいですね。