学生時代読んだ村上春樹の短編集「回転木馬のデットヒート」の中に「プールサイド」という話がある。
35 歳の誕生日を迎え、人生の折りかえし点を曲がろうと決心した男の話だ。
学業や仕事、家庭など、今までの人生において挫折なく、計画通りに生きてきた。
彼は前半の人生で求めた多くのものを手に入れた。
そして彼は人生の折り返し地点で、これ以上何を求めればいいのか分からなかった。
なにひとつ申し分ないが、気がつくと彼は泣いていた……
なんで泣くのだろう。
この短編を読んだ後、読者はそういう問いになる。
35歳で人生のターニングポイントと定め、人生の後半を考える男。
彼は一般的な成功者で、今この瞬間にもやりがいのある仕事、高い年収、幸せな家庭、若い恋人、頑丈な体を持っている。
人生の前半は、自分の場所の正確な把握をして、目的や意味を持ちそれに向かい合う。
しかし、ターニングポイントを自ら定めそれを超えた時、どうしたら良いのかわからなくなったのだ。
彼は老いることは形があり、向き合うことで怖くは無いという。
それよりもきちんと直面して戦うことができない、漠然としたものを恐れる。
自分の中にある名状し難い把握不能の何かに対して、それをどうすればいいのかわからないという恐れだ。それは死に近づいているという認識だろうか。
若い時にこの短編を読んで、自分にいつかこういう折り返し地点を確認し、
その先に向かい合う瞬間が来るんだろうなと、ゾッとしたこと覚えている。
僕は1月でとうとう49歳になった。もうすぐ50歳の大台。
現状では、すぐに何かあるわけでもなさそうなので
自分はどうも信長よりも長生きできそうだ。
この村上春樹の短編のような名状し難い不安は、鈍感なのか35歳の折り返し地点にも
49歳の今でも感じなかった。
若い時に小説をよく読んで、たくさんの物語、小さな教訓、気づき、救い、夢想を与えてもらったけれど、
とても今のような49歳の自分の精神や現状になると想像できなかった。
若い時は観念的な思考に具体的な欲望や感情がのっかりやすく結構苦しかったなあと思う。
個人的には若い時に戻りたいとは到底思えない。
現状の厳しさ、難しさは、若い時も今もそんなに変わらないし、
多分今後もいろいろあるのだろう。
でも確かなのは自分は、20代よりも30代よりも今の方がずっと精神的にも安定しているし
大事なことがなんなのか、わかっている気がする。
年をとっていくことは、いろんな経験や知識を積んでいくことで
ますます平穏で楽しくやれると思っている。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00429/020400001/
こういう記事を読むと、我が意を得たり。
なるほど50代は楽しそうだ。
モダンエルダーなんて職場の賢者は僕には難しいけれど
確かに「マイ・インターン」の70歳のデニーロのように
うちの職場にも、今村さんや奥井さんがいたし、堀口さんもいて
20代と一緒に仕事をしている。
彼らがいた方が、少なくともみんな楽しく仕事ができていると思う。
世の中はみんな世代間の議論が好きだけど、
無駄に対立を煽ったりレッテルを貼ったりすることをやめて
単に僕は、デジタルネィテブ世代のかっこいい自由な個人から学びたいし、
一緒に楽しく仕事をしたいなと思う。
以上高井でした。