信長戦国歴史検定2級・3級を持っている臼井です。
3ヶ月に一度行われる、名古屋歴史ナイトという催しに
第2回目から5回連続で参加するなど名大社で一番の
歴史通と自称してます。
2級、3級取得時のスコアが上記です。1年後1級を受けるも63点で不合格。
しかし148人中16位のスコアだったので、合格者は全国で10人もいないと思います。
今回のテーマは織田信長です。
実は6月は織田信長にまつわることは多い月だって
ご存知でしたでしょうか?実は僕も最近知りました。
たとえば本能寺の変が起きたのっていつかわかりますか?
答えは 1582年6月2日
信長オタクを自認し、検定2級保持者の私にとっては
簡単な問題だったのです。
ところが、先日とあるところで、本能寺の変が起きた日はという
問題を出され、なんて簡単な問題を出すんだとタカを括っていたら
選択問題ですが6月2日が選択肢にないんです!!
6月19日、6月20日、6月21日、6月22日だったと思いますが
とにかく6月2日が無いんです!!
思わず
「マジか・・・」
とつぶやいてしまった。
答えは6月21日だったんです。
6月2日は旧暦なんですね。
新暦では、6月21日なんだそうです。
これ以外の信長さん絡みのビッグイベントですが
1534年6月23日織田信長が生まれる。
1560年6月12日桶狭間の戦いで今川義元を討つ。
とすべて新暦ですが、6月って織田信長にとって
ビッグイベントが詰まっていたんです。
旧暦でおおよそ5月くらいと思っていたので
新暦で考えるという発想が今までなく新鮮でした。
なぜ明智光秀が信長を討ったのか?という話になると
かなり長くなるので、
今回は先日6月4日に参加した名古屋歴史ナイトの
議題にあがった
桶狭間の戦いについて
歴史の教科書や、大河ドラマ、ゲームの世界などで
いろいろお持ちの記憶があると思います。
織田軍が、雨に紛れて、義元の本体の裏に回り奇襲を仕掛け
義元を打ち取った。
そういうイメージを持たれている方が多いのでは、
加えて、
付近の農民から酒などをふるまわれ、宴会中に襲われたとか
その宴会を仕込んだのはのちの豊臣秀吉こと、木下藤吉郎だとか
今川義元のイメージも
お公家さん志向
馬に乗れず、肥満体型だった
結果ボンクラな武将だなどなど
そのくせ天下を狙うために上洛を目指したなど
かなり信長のかませ犬的な扱いを受けてきている
今川義元さん。
実はこれらの話は現在ほとんど作り話だったと言われています。
史実に基づくというより、江戸時代に書かれた、
話を盛って面白おかしくする小説の話を、
TVやドラマで使うことで、イメージが出来上がってしまった例だそうです。
奇襲ではなく、ではどうやって義元を倒したのか?
今有力なのは、正面からぶつかって勝っているという説です。
それ以外にも
今川義元も、戦国大名の中でかなり優秀であるという事実。
信長の織田家がなぜ力を持っていた理由があり、それは愛知県に
津島という地名があるのだが、かつて港として栄えており、
ここで商売をする商人を保護することで、莫大なお金を手に入れて
いたという事実。
同じように熱田も港町として栄え、ここの利権争いが発展し
今川義元の進行に合い、桶狭間の戦いが起こってしまった
要因の一つであり、上洛の為ではなく。ただの織田領を奪うための
侵攻だったという事実。
歴史というのは研究が進むうちに、今までそうだと信じてきたことが
どんどん変化していきます。
これが歴史の面白さではありますが
学び方として、年表の暗記なのではなく、出来事の背景を考える
という意識をもって学ぶとこういう変化に対応できるし、さらに面白くなると思います。
このあたりの話を実にわかりやすく、書いている漫画があり
ご紹介します。
こういう視点で歴史を学ぶと非常に面白いと感じる本です。
桶狭間戦記 全5巻 宮下英樹 講談社
ちなみに桶狭間出陣のときの敦盛を舞ったのは信憑性の高い資料にあるようです。
こんなんを12年前に、ノリタケの森に彼女と行って作っている時点でどうかと思いますが・・・。 救いはその時の彼女が今の嫁さんということです。
そんな嫁さんの誕生日も6月ということで、僕にとっては熱い6月ということです。
嫁さんへ 誕生日おめでとうございます!!