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『トーク・トゥ・ハー』(2002)スペイン
病院のベッドに横たわる若くて美しい女性アリシア。彼女は4年前に交通事故に遭い、以来昏睡状態に陥ったまま一度も目覚めることはなかった。看護士のベニグノは4年間彼女を世話し続けるとともに、決して応えてくれることのない相手に向かって毎日語り続けていた。一方、女闘牛士のリディアもまた競技中の事故で昏睡状態に陥っている。彼女の恋人マルコは突然の事故に動転し悲嘆にくれていた。そんなベニグノとマルコは同じクリニックで顔を合わすうちいつしか言葉を交わすようになり、互いの境遇を語り合う中で次第に友情を深めていくのだったが… (wikより)

 

こんにちは、高井です。
今日はこの映画について書こうと思う。とても美しい映画だ。
見れば誰でも強烈な印象を持ち、賞賛なのか?あるいは拒絶なのか?見るものに判断を強いる点で、これは間違い無く世にある傑作のひとつと言えるだろう。
例えば男性的な視点に立てば、これは愛する女性の存在無しには孤独に苛まれてしまう、男性の本能的な依存性を描いた悲しい物語だ。
看護士のベニグノは、男に捨てられた寝たきりの母親を自ら20年間も介護し、その後、今は昏睡状態で目覚めることが無い女性アリシアに対して献身的な介護をおこない、全く反応の無い彼女に対してまるで恋人のように毎日優しく話しかけている。
彼の名前のベニグノ(Benigno)とはスペイン語で、「優しい」あるいは「無害」を意味し、彼はいわば男性の無垢のシンボル、または女性に対する無償の愛の体現者として存在するように見える。
(彼は昏睡状態の彼女を介護する瞬間を幸せだといい、彼女と結婚したいとまで言い出す)
しかしこの辺りから美しい無垢な愛の世界が、一転欲望と性の世界に大きく変わっていく。
その後、昏睡状態の女性アリシアが何者かに妊娠させられ、その犯人としてベニグノは投獄される。
さらに刑務所で子供は死産であることを聞き、全てに絶望した彼は自殺して果てる。
本当に彼が彼女を妊娠させたのか?
この映画では、その答えをはっきりとは示していないので、その真偽は見るものの解釈に任せられる。
例えば彼が本当に昏睡状態の彼女に対して妊娠させた犯罪者としてみた場合、全てはおぞましい世界に見える。
いわば彼女の下の世話までする献身的な4年間の介護は、全て男性の欲求を満たす行為の4年間に見えてくる。女性的な視点としてみる場合特に、これはグロテクスな醜悪な行為以外何者でも無いだろう。

男性的な、あるいは女性的な。どちらの視点見るのか?それは見るものの経験に結びつく。
しかしそれだけならこの映画は凡庸だと思う。当然この作品はこれだけでは終わらない。
昏睡状態で眠ったままの女性アリシアは、妊娠をきっかけに意識が戻り4年ぶりに奇跡的に目覚めるのだ。
これはどう解釈したら良いだろう。
昏睡状態で意識の無い状態での妊娠という出来事。
いわば社会的な「悪」(一人の男を死に追いやるまでの悪)が、結果として一人の美しい女性を目覚めさせたのだ。
これはこの作品の救い(福音?)で、どのような経緯であろうとも肯定的に捉えたい美しい出来事として見るものを引き込む。
その結果、最後に女性アリシアはベニグノの唯一の親友であるマルコと劇場で出会い、彼・彼女の関係が始まろうとする瞬間(予感)でこの作品は終わる。

愛について。無垢な感情について。良いと悪いについて。
その他いろいろなことを僕たちは語ることができる。
しかしそれはあくまでも社会の中の言葉として、限定的な言語の関係性(話す・聞く)の価値の中でしか語ることができないだろう。
しかしベニグノは、この映画は、それをtalk to her(彼女に話しかけなさい)と言いながら、愛する対象がなんであれ、言語以前のモノに向かってでも、返事が無くても、報われることが無くても、話しかけることの奇跡と「話しかける」ことの本質(話すの根源性)を垣間見せてくれた稀有な作品だと思う。