こぉぉぉんにぃぃちわぁぁぁぁぁ!ニムラです。
突然の錦鯉、失礼いたします。
最近、我が家では空前の「まさのりさんブーム」
(純白スーツに身を包んだおじさんです)
ノリノリまさのりダンスを踊りながら
髪型をまさのりさんみたいにしろと懇願する息子。
さすがに一般人にはあの貫禄は出せないでしょう。
それはさておき。
今日は、この場を借りて親父のことを少しお話させていただきます。
(以前のブログでも書いておりました)
今月で親父が定年退職となりサラリーマンを辞めます。
高校卒業後、18から47年間。
一つの会社で勤めあげた親父。
暴走族から出張族に。
出張族から転勤族に。
もともとメカニックとして入社したものの
物怖じしない性格と歳に似合わない風貌を買われ
いつしか営業として全国を飛び回ることに。
定年間際まで東京で10年。
単身赴任で頑張ってきました。
物心つく頃には親父のことを
週末に帰ってきてお好み焼きを嬉しそうに焼く人。
そんな風に思っていました。
でも不思議と寂しさはなく
家族ってそういうものなんだなって
子どもながらに思っていました。
親父には叱られた記憶があまりありません。
母親が厳しかった分、親父はどこかシェルターのようで。
逃げ場所を作ってくれていたのかなと。
その分、本気で叱られたときの記憶は割と鮮明に残っていて。
姉と喧嘩をしたときに、勢いあまって足を出してしまったんです。
口では勝てないから力で何とかしようと思ったんでしょう。
その直後、親父にバカヤローと家から放り出されました。
「男は何があっても絶対に女に手を出してはダメだ」
初めて本気で叱る親父を見て
大変なことをしてしまったんだと実感した記憶です。
時は流れて自分も社会人となり仕事をはじめた頃。
一緒に金山の風来坊に飲みに行きました。
2人で飲むのはたぶん初めてだったんじゃないかな。
酒の力を借りて色んなことを聞いてみました。
親父にも仕事を辞めようと思ったことがあったこと。
その時に支えとなったのがお客さんと子供だったこと。
会社で上に立てついて割をくったけど後悔していないこと。
仕事のために働くんじゃなくて人のために働くってこと。
はじめて同じ土俵で語り合えたことが結構嬉しかった記憶。
それからは飲む機会も少しだけ増えて。
出張の時に東京駅の八重洲口の写真だけ送って親父を飲みに誘いだしたり。
実家でお互いベロベロになるまで飲んでおかんに怒られたり。
酔うとなぜか腕相撲をしたがる親父と取っ組み合ったり。
最近では足を悪くして杖をついて歩くようになった親父ですが
まだ子供には負けまいと気張っているようです。
本当だったら今頃。
水曜どうでしょうの熱烈なファンである親父の退職祝いの要望で
ベトナムをカブで縦断の旅に2人で行っていたはず。
コロナが落ち着くまでは難しいですがいつか行ってみたいと思います。
長い間、家族のために頑張ってくれてありがとう。
ホントおつかれさまでした。
取り留めのない話になってしまいましたが…
親父も今月で東京の住処を去ります。
少しぐらいは孝行せねばと引っ越しの手伝いに行くことにしました。
これからは好きなことをやる時間ができます。
体が動くうちにお世話になった全国の方々を回りたいとも言っています。
いつまでもアクティブなオヤジでいて欲しいとこっそり願うのでした。